石垣島のフルスト原遺跡に行ってきたので、感想や遺跡までの行き方などを書きました。周辺の史跡・博物館情報も合わせてお伝えします。ご参考になれば幸いです。
遺跡の様子
ところどころに遺跡全体について説明する看板は立っています。しかし、敷地内の石塁は全て復元されたもので、「~号石塁」と書いてあるだけでで各々については何の説明もありません。また、石塁の内部には雑草が生い茂っていて、足を踏み入れるにはかなり勇気が必要です。一部の石塁に至っては、あまりに雑草が深すぎて近づけませんでした。
また、書籍や遺跡の看板に書いてあった墓や御嶽(八重山諸島では「おん」と読みます。沖縄本島では「うたき」)も見当たりませんでした。あるのは熱帯雨林っぽい植物と申し訳程度の遊歩道ばかり。
しかし、史跡巡りの醍醐味は、こういう打ち捨てられて朽ちた感を噛み締めることなんですよね。文化財の活用の観点からすると「もっとちゃんと管理してよ(怒)」とマジで思いますが、ロマンを感じるにはこれくらいの放置具合がちょうどいい。下手に綺麗に整備されると、人間と自然による歴史の積み重ねが取り払われてしまう感じがするんです。ここにほんの500年前は多くの人が住んでいて、今は木に遮られてほぼ見えない海を眺めて暮らしていたと思うとわくわくします。
ちなみに遊歩道の途中で明らかに入っちゃいけなそうな雰囲気の脇道を発見しましたが、私はチキンなので入れませんでした。この道の先にもしかしたら墓や御嶽の遺構があったのかもしれないと思うと勇気のなさが悔やまれます。
というか他の方のブログや口コミを見ると、洞窟とかもっと景色よさそうなところとか普通にあるんですよ。自分はいったいどこを歩いていたんだ。訪問した時期も悪かったかもしれない。……この遺跡、絶対にリベンジするぞ。絶対にだ。
アクセス
バス
私はバスで行きました。ホテルなどの所在している石垣島の中心部から行くのであればバス停「大浜」が近いとGoogleさんが言うので、その通りに。
そしてGoogleさんの言う通り南側から入りましたが、かなり分かりづらかったです。
道案内の看板が肝心なところに立っていないような。位置情報を使わないと路頭に迷うかもしれません。
バス停「磯辺」で降りて、北側から入った方が分かりやすいかも。
自転車
駐輪場はありませんが、遊歩道の脇か遺構を損なわないところに置いておけば大丈夫だと思います。たまに地元の方が通るので遊歩道のド真ん中に置かないようご注意ください。
自家用車
駐車場がなく遺跡の外に路上駐車することになるのでやめた方がよいでしょう。概要
フルスト原遺跡は、石垣島の南部台地上にある「グスク」状の遺構を持つ遺跡です。
1500年に琉球王朝に対し「反乱」を起こして討伐された石垣島の豪族「オヤケアカハチ」の居城であったともいわれていますが確定ではありません。居城ではなく単なる村であった可能性もあります。ただ、出土遺物の年代は14世紀から15世紀末までとなっているので、ちょうどオヤケアカハチの乱の頃を境に遺棄されたようです。遺棄されて以降は、墓としての利用が確認されています。
現在のところ、屋敷をそれぞれ囲っていたと考えられる石塁が15基発見されていて、他にも石塁と思しき痕跡が数点見受けられるそうです。これらの石塁は多くが連結して築かれており、その厚さは2メートル前後。石塁の内側の屋敷を守ることを意識したつくりとなっています。
フルスト原遺跡の他にも、このようなつくりの村は八重山諸島※1各地で14世紀~15世紀にかけて散見されます。そしてやはり一様に16世紀初頭に遺棄されたものとみられています。
※1 八重山諸島:沖縄県南西部の島嶼群。石垣島、竹富島、西表島、与那国島などからなり、リゾート地として安定した人気を誇る。(八重山列島 - Wikipedia)
背景
琉球王国は1429年、尚巴志王の三山統一によって成立したと言われています。三山とは沖縄本島の北山、中山、南山の3つの区域を指します。1429年以前はそれぞれに王様がいましたが、南山の王様だった尚巴志が沖縄本島の支配権を統一したわけです。しかし、統一後も中央集権的な政策を実施することができず、地方の豪族の力が強かったらしいです。中央集権を推し進めたのは、クーデターにより即位した尚円王の息子、尚真王の時代(1477~1527)でした。
尚真王は豪族の首長を首里に住まわせ、地方には中央の役人を派遣することで地方豪族たちの力を弱めたのです。また、各地のシャーマンたちをも組織化して支配し、宗教の面においても着実に集権化を進めていきました。(中国の制度をガンガン取り入れてる感じがしますね。)
オヤケアカハチの乱はこのように中央集権化が進められるただ中で起きました。
この頃まで、八重山諸島は琉球王国に朝貢しながらもある程度の独立を保っていましたが、これ以降、ほぼ完全に琉球王国の支配下に置かれるようになります。
フルスト原遺跡や、それとよく似た石塁で囲まれた村々がオヤケアカハチの乱の時期に遺棄されたのは、八重山諸島の人々の反抗心を封じ込め、忘れさせるための琉球王国の施策であったのかもしれません。
この後、八重山の人々は「人頭税」をはじめとする琉球王国の過酷な支配に長い間苦しめられることになります。
近隣の史跡・博物館
船着御嶽
フルスト原遺跡を出て土砂降りの雨に打たれつつふらふら歩いていたら、船着御嶽というのがありました。Google mapの航空写真の中央付近に、海から連なるように白い敷地があるのがお分かりいただけるでしょうか。正面から撮影した写真がこちらです。
船着御嶽の前には海が広がっていました。すごい土砂降りだったため写真の海は残念な感じですが、普段はさぞ綺麗なものと思います。
いったいいつ頃成立したのでしょうか? 拝殿自体は新しいそうですが。
フルスト原遺跡からは、ちょうど川沿いに下ったところにありました。
もしかしたら、その昔フルスト原遺跡に住んでいた人々の航行の安全を願うためにできたものかも、なんて想像するとちょっと面白いです。
八重山博物館
石垣島唯一の博物館。1/4くらいが八重山の歴史の展示、残りは八重山の民俗の展示という感じで、こぢんまりしていました。獅子舞が石垣島に伝来した経緯についての解説などがあり、何気に面白かったです。
それとなく日英中3言語の解説を用意してあるのが侮れないところ。さすが台湾のご近所さんですねー。なんと、石垣空港から台湾まで直通便で1時間らしいですよ。
白保竿根田原洞穴遺跡
■白保竿根田原洞穴遺跡 - Wikipedia残念ながら行っている時間はありませんでしたが、石垣空港の敷地内にあります。実はここで発掘された人骨の最終結果が先日発表されたばかりです。
あ~実物見たかったな~。なんで石垣島で発掘されたのに沖縄本島にあるんだよ、仕方ないけど(笑)。
参考文献
おすすめのブログ
フルスト原遺跡を訪問された方のブログ・サイトです。私のこの記事より解説がずっと丁寧で写真もすごく綺麗なので、興味を持たれた方はぜひ閲覧してみてください!- フルスト原遺跡 [1/2] 石垣島南部の小丘に残る石塁群へ。 – 城めぐりチャンネル
- フルスト原遺跡: 徒歩で巡る沖縄ぶらり紀行
- [石垣島]静かな時間が流れる 国指定史跡のフルスト原遺跡 | J-TRIP Smart Magazine 沖縄
- フルスト原遺跡-沖縄県-〜城と古戦場〜
訪問記録
訪問日:2017.5.20天気:曇り、雨
交通手段:バス