星を匿す雲

主にTVゲーム、アニメ、歴史漫画、史跡巡りの感想を書いているブログです。基本的に【ネタバレあり】ですのでご注意ください。

【感想】サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福:虚構は最も偉大な発明である

皆様こんにちは。赤城です。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』について感想を書きました。




本書を手に取ったきっかけ

以下のツイートを見かけたからです。 いや、どれも読んでないけど!? そんなにご大層な内容なのか? と思って手に取りました。結果、大変ためになる内容であることが分かったので、記事を書くことになった次第です。




本書のすごく大まかな内容

人類が比類なき繁栄を遂げたのは、人類に生じた3つの大きな変化、認知革命、農業革命、科学革命のおかげである。

さらに、バラバラだった人類社会は、貨幣、帝国、宗教という仕組みによりひとつに統合されつつある。

しかし、人類の繁栄と統一がそのまま人類の幸福に繋がっているとは限らない。

重ねて言えば、科学革命が今後生み出す可能性のある「新人類」にとっては、幸福をはじめとした現在人類が尊んでいる概念そのものが意味をなさなくなる恐れもある。


大まかにいうと以上のような内容です。

これだけでは「なんぞや?」という感じだと思うので、まだ読んでいないけど興味のある方はぜひ読んでみてください。すごく面白いです。

もうお読みになった方、読んでないけどとりあえずお前の感想を読ませろという方は、下にスクロールして記事の続きをお読みください。







感想

大変読みやすく、人類が繁栄した理由と今後の展望についての筋道の通った見解を知ることができました。

また、ある種の短絡的な考えに凝り固まった人々(例えば運命論者、人種差別主義者)に対するやんわりとした批判も込められていて、溜飲が下がったのと同時に身の引き締まる思いもしました。

総じて、私の思考を広く耕してくれる本でした。折に触れて読み返したいです。


以降では、特に印象に残ったことに関する感想を述べます。

これらの感想は、本書のあくまでほんの一部について述べているに過ぎません。実際には本書が問題提起している事柄のひとつひとつに対し色々感じることがあったのですが、うまく言語化できなかったので今はそのままにしてあります。そのうち書き足すかもしれません。



虚構は最も偉大な発明である

ハラリ氏は、認知革命――虚構の発明こそ、私たちサピエンスを今日の繁栄に導いた第一のカギであると論じ、その絶大な効果について「認知革命」以外の章でもたびたび触れています。サピエンスは共通の虚構(神話、国家、企業、法律、人権などの、目に見えず手で触れられない、実体のない概念)を信じることによって、何百、何千、何万人といった大人数が、巨大な目的のために協働し、その目的を達成できる。一方、他の生物には虚構を作り出す能力がなく、日常的に触れ合い信頼関係の構築されている限定された頭数でしか協働できないため、なしえる成果には限界がある、と。

他の2つの革命、農業革命と科学革命が生じたのも虚構のおかげだと私は思います。社会という虚構を信じたから、私たちは多大な時間と労力のかかる農業を協力して行い、食料獲得の手段とすることができました。また、この世界には秩序があるという虚構を信じたから、私たちは身の回りで起こるひとつひとつの現象を見比べ、共通する法則を見出し、それらを自分たちの役に立つよう利用する術を編み出しました。さらに、人類の統一に寄与した貨幣、帝国、宗教という3つの仕組みも、元をただせば虚構に他なりません。


恥ずかしながら私はこれまで、虚構とは、神話やアニメや小説など、現実世界にはない物語と、(無神論者なので)実在しない神を信じる宗教のことだけを指していると無意識に考えていました。とんでもない、国家も企業も法律も人権も貨幣も、全て虚構なのです。絶対的な存在ではなく、多くの人が信じることをやめたら跡形もなく消えてしまうものなのです。

言われてみれば当たり前のことですが、それだけに恐怖を覚えました。私は現代社会が結構好きです。なぜなら「人間誰しも平等である」という理想を、まだ実現には程遠いけれども、掲げているからです。私はその理想を、この社会が最終的に至るべきただひとつの正しい科学的帰結であるとここ何年か無邪気に信じ込んでいました。

ところが、本書を読んで、それも実は虚構に過ぎなかったことを思い出してしまいました。この社会は、多くの人が信じさえすれば、例えば「人間は高等な者と下等な者に振り分けられるべきである」という、私にとっては非常におぞましい思想をも理想として掲げることができます。実際、過去多くの人間社会でその思想は当たり前のように支持されていたし、決して間違っていたわけでは(また正しいわけでも)ないのですから。



たゆまぬ技術発展は私たちを幸福にはしない

ハラリ氏は、サピエンスは常に今より豊かな暮らしを求めるが、いざそれを手に入れるとその豊かさがかえって足枷になり、もっと豊かな暮らしを得るべくさらなる苦労を重ねることになる、と述べ、その主な例として農業と電子メールを挙げています(上巻p. 112-118)。

農業革命により、サピエンスは安定した生活を送れるようになるはずでした。しかし実際には、不作の年があれば飢饉に陥り、人口が増えればその分あくせく働かなければならなくなり、蓄えた農作物や財宝目当てに襲いくる敵がいれば排除しなければならず、狩猟採集をしていた頃と比べると、生活はむしろ厳しくなりました。農業は、サピエンスの種としての繁栄(=人口増加)には寄与しましたが、サピエンスの生活に余裕を与えることはありませんでした。

電子メールは、時間と場所を選ばずに相手にメッセージを届けられるので、手紙で遅々としたやり取りを行っていたサピエンスのQOLを大いに向上させてくれるはずでした。しかし、手紙と違い、メッセージをすぐに受け取れるという性質ゆえ、使用者はお互いに迅速な対応を期待することになります。その結果、一日に何十通もの電子メールをやり取りすることになり、手紙でのんびりとやっていた昔の何十倍もの労力をかけなければならなくなりました。


私は技術発展大好き、効率化大好き人間です。技術の進歩を受け入れず、旧来の非効率的なやり方に固執する人を嫌っています。なぜなら、最新の技術を導入し作業を効率化すれば、みんなの日々の生活や仕事がラクになり、各々が自分のやりたいこと、例えば私ならゲームや創作や旅行にもっと時間を割けるようになると信じているからです。

でも、本書を読んでその信念が少し揺らいでしまいました。ハラリ氏の述べている通り、ラクになったらその分だけ新しい欲望や仕事を詰め込まれ、またそれを処理するために四苦八苦することになるだろうと思ったからです。また、ちょうど会社の同僚から、電子メールについてハラリ氏と全く同じ意見を聞かされていたのも、この考えに拍車をかけました。

私たちの社会がそうして発展してきたのは事実です。たゆまぬ技術発展に常に追いつき、他者と差をつけることに幸福を感じる人がいるのも事実です。けれども恐らく私を含む多くの人が幸福を感じるのは、発展そのものに対してではなく、前述の通り、自分のやりたいことができるようになったことに対してです。だから、文明が進歩しても幸福を感じる余裕ができない、むしろ減っていくという予感があるのなら、発展などしてもらっては困るから精一杯抵抗するでしょう。

ところが、ハラリ氏が農業革命に関して述べているように、進歩は種としての繁栄には確実に寄与するため、それを持っている者が持たざる者を圧倒するようになります。結局持たざる者は圧倒され、飲み込まれ、果てしない技術発展の歯車にならざるをえないのかもしれません。そして、私は持てる者になろうと持たざる者になろうと、幸福にはなれないのかもしれません。