星を匿す雲

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【レビュー・感想】デジタル・ミニマリスト:SNS依存症、スマホ依存症のあなたと私へ

皆様こんにちは。赤城です。

カル・ニューポート著、池田真紀子訳の『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』についてレビューと感想を書きました。




レビュー

はじめに、本書のレビューをお伝えします。



総評

最近、「何かがおかしい」と思うことはありませんか。

例えば、通勤電車で自分を含むほとんどの乗客が一様にスマホに目を落としていたとき。会食の際、友人がことあるごとにスマホを取り出してSNSを確認していた(あるいは自分でそうしてしまった)とき。貴重な休日をスマホでネットサーフィンをすることに丸々費やしたとき。

どうして「おかしい」と思うのか分からない。でも、このままでは、良くないことが起きそうな気がする――。


本書を読むと、その「おかしさ」の根っこにあるものが深く理解できます。

私たちはデジタル・テクノロジーに依存しすぎているのです。多くの人がそれによって心の健康を損ねていること、さらにそれは偶然ではなく仕組まれたものであることが本書では暴露されています。

また、デジタル・テクノロジー依存の実態が明らかにされたところで、依存から脱却するための方法も紹介されています。その方法を実践すべき根拠から得られる成果までがきっちりと網羅されているので、読み終えたときには、明確な行動指針ができあがっていることでしょう。

ただし、本書で示されている依存脱却の方法は、端的に表すと「オンラインよりもオフラインを優先する」ことです。したがって、オンラインでのコミュニケーションがますます重要性を増している昨今、時代に逆行しているとまでは言いませんが、本流からは外れているように見えます。また、依存脱却の方法の一部は、個人的には受け入れがたく思いました。


しかしながら、私自身の実感に沿って考えると、本書の主張の大部分は恐ろしいほど的を射ています。したがって、今後、提案されていることを一部分だけでも実行してみることには大いに意義があるように感じました。

今、自分や周囲のデジタル・テクノロジーの使い方に違和感を感じている方には、受け入れるか受け入れないかは別として、ぜひ一度、目を通すことをおすすめします。



概要

本書の内容は、主に2点に大別されます。

1点目は、デジタル・ミニマリズムの必要性と概念の伝達。2点目は、デジタル・ミニマリズムの実践方法です。


デジタル・ミニマリズムの必要性と概念

SNSスマートフォンなどのデジタル・テクノロジーの使いすぎ、換言すれば、デジタル・テクノロジーへの依存が、私たちの心の健康を蝕んでいることが、次第に明らかになっています。

私たちが心の健康を保つためには、他者と関わらない孤独な時間他者との交流の両方が必要であることが知られています。しかしながら、デジタル・テクノロジーにどっぷり漬かった生活は、そのどちらをも満たしてくれません。なぜなら、

  • デジタル・テクノロジーにより常に誰かと「接続」していると、孤独な時間を持つことができない
  • デジタル・テクノロジーによる他者との「接続」は、実世界での交流に比べて質が低いため、実世界での交流の完全な代替とすることができない

からです。

デジタル・ミニマリズムとは、上記のような状況を打開するための、デジタル・テクノロジー利用の哲学です。

デジタル・ミニマリズムにおいては、個々のデジタル・テクノロジーを、自分が重きを置いている事柄を後押ししてくれるか否かを基準に厳選します。さらに、厳選したツールについても最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれらだけに集中して、他のデジタル・テクノロジーは一切使用しません。

デジタル・ミニマリズムを実践することで、私たちは他者との交流と、他者と関わらない孤独な時間の両方を復活させることができ、心の健康を取り戻すことができます。


デジタル・ミニマリズムの実践方法

そうは言っても、具体的にどのような行動を取れば、デジタル・テクノロジーの短所を避け、長所だけを享受できる、デジタル・ミニマリストになることができるのでしょうか。

本書では、デジタル・ミニマリズムの「演習」を、その実例と結果と共に、多数記載しています。

ちょっと過激な演習もありますが、全てを実行に移す必要はない、と著者は述べています。

大切なのは、なんとなくスマホをいじる、なんとなくSNSを眺める、という状態から脱して、デジタル・テクノロジーに関わる事柄を主体的に選択することです。



上記の内容は本書のほんの一部分に過ぎませんので、ご興味のある方はぜひ購入したり、図書館で借りたりして読んでみてください。

本なんざ読むのは面倒臭いぜ、という方は、ニューポート氏が東洋経済に投稿した記事だけでも読んでみてください。本書のうち、テクノロジー依存の危険性についての部分がざっくりまとまっています。

既に本書を読まれた方、読んでないけど暇だしお前の感想も読んでやろうかなって方は、よろしければこのすぐ下に感想も書いてあるので、どうぞ読んでいってください!










感想

本書に関する私の感想です。あまり核心に迫る話はできてないかもしれません。すみません。



アテンション・エコノミーの恐ろしさを思い知った

かねてから「ツイッターやFacebookなどのSNSはユーザを自社サービスに依存させる仕組みを作っている」という言説を耳にしたことはありましたが、ここまでガツンと思い知らされたのは初めてでした。

言われてみれば至極当たり前のことなので、違和感を持っていたのであればもっと早く思い知って距離を取る努力をしていてもよさそうなものです。でも、ツイッターもFacebookもかなり昔から利用しており、それだけメリット(物理的な距離に関係なく交流できる、草の根運動が広まりやすい等)も享受しているので、認めたくなかったのだろうと思います。


アテンション・エコノミーについては他の書籍も漁って勉強してみたいです。



オタク文化もアテンション・エコノミーに飲み込まれている

私が本書にこれほどまでに共感しているのには、非常に明確な理由があります。


先日、創作系(?)の同人界隈でおけけパワー中島論争というのがあったらしい、とリアルの友人から教えられて、一応創作系オタクの端くれのミソッカスである私は興味を抱いて調べました。

で、おけパの漫画に感銘を受けている人が多いこと自体にも「闇が深いな~」と思ったんですけど、そこから色々辿っているうちに、一部の創作系同人界隈のさらなる闇を知ってしまったんですね。やれ人間関係がこじれやすいだの、クソデカい承認欲求に悩まされるだの、その承認欲求を満たすためにいいね互助会を作ってしまうだの。私は創作系オタクと言っても端くれのミソッカスのどん詰まりなので、今まで関わりがありませんでした(もしくは鈍感すぎて気づいていなかったのかもしれません)。

人間関係がアレなのは昔からなので置いといて、わざわざ互助会を作らずにはいられないほどの承認欲求なんて、どうして発生してしまうのだろうか? と純粋に疑問に思い、あちこちの界隈の様子を覗きました。

そんな中で、「個人サイト時代は良かった、SNSに発表の場が移ってからみんなおかしくなった」みたいな話を目にして、私は『デジタル・ミニマリスト』で述べられていることと創作系同人界隈の現在の状況とが、一本の線で繋がったのを感じました。

もしかして、スマートフォンと「いいね」が現れてからではないでしょうか、創作系オタクが度を越した承認欲求に狂わされるようになったのは。私はかろうじて創作系同人界隈のことしか分からないですが、他の分野のオタクも非オタクも、「いいね」のせいで凄まじい承認欲求に悩まされているのではないでしょうか。

「いいね」や「リツイート」をどのくらいもらえているかを逐一通知され、また他人の目にも見えてしまうあの構造と、いつでもどこでもSNSに接続できるスマートフォンの合わせ技は、やはり絶対に良くないです。

こんな議論は既にオタクの間では出尽くしていると思いますが、私も今回、やっと事の次第を理解しました。実を言うと、あちこちのジャンルの様子を覗いているうちにちょっと影響されてしまい、自分のブログ・ツイッターの投稿や作品に対する承認欲求が肥大化してしまいまして(笑)。いやはや、恐ろしいものだな、と感じました。


ちなみに、個人サイト全盛期にもランキングなどの競争を促す構造や、相互リンクなどの互助会みたいな構造はあったため、承認欲求と全く無縁だったとは言いがたいです。

でもスマホはなかったから、学校や会社に行っている人には強制的に引き剥がされる時間があったんですよね。あと、交流は前提ではなくオプションだったから、他の人と交流せずひたすら自分の作品をアップし続けることに対して余計な疑問は抱かなくて済みました。一方のSNSでは、交流しないと肩身が狭いですもんねえ。そして交流するとどうしても「いいね」「リツイート」が目に付くっていう。


私は個人サイト時代の謎マナーの山が嫌いなので、あの頃に戻ってほしいとはつゆほども考えていません。しかし、現在の過剰な承認欲求を喚起される創作系同人界隈にも安住はできない、と思いました。創作者にとって心地の良い中間地点が見つかるといいんですけどね。



本当に届いてほしい人にはたぶん届かない

私には、この本を読ませたい人が何人もいます。この本の主張を全部受け入れなくてもいいから(そんなことは私もできていないから)、一通り読んでとりあえず自分の今の状態が危険かもしれないことを把握してほしい。それだけ彼らは危うい状態にあるように見えるのです。

ただ、そういう人に限ってどんなに一生懸命発信しても読んではくれない予感がします。ひとえに私の発信力と人望が足りないせいです、ハイ。

ネット空間で発信力のある人が問題視してくれたらいいな、と思ったものの、その発信力が何に支えられているかを考えれば、わざわざ広めようとはせず自分の中だけに留めるかもしれないですね。



デジタル・ミニマリズムって永年利用料無料のクレジットカードみたいなものでは?

SNSやウェブサービスは、ユーザの時間を代償にユーザにメリットを提供しているんですよね。

であれば、デジタル・ミニマリストの、デジタル・テクノロジーのメリットだけを享受する行為というのは、

クレジットカード会社の収益の数十%が阿漕なリボ払いの返済金から来ていることを知りながら、永年利用料無料のクレジットカードを利用するようなものなのでは……?

と思ってしまいました。


それで罪悪感を抱いたらアテンション・レジスタンスなんてできないし、時間を奪われたらテック産業の思う壷なので、心を鬼にしないと駄目なんですけど。かといって、「私はデジタル・テクノロジーに踊らされている無知蒙昧どもとは違うの!」などと優越感を抱くのも違う気がしますね。

とりあえず、リボ払いもデジタル・テクノロジーの度を越した依存性も、そのうち改善されることを願っています(他力本願)。



てか、デジタル・ミニマリズムって陰謀論みたいじゃね?

そう思ってる人、私の他にいませんかね(笑)。

  • 「多くの人が目を背けている(ように見える)真実」を暴露している
  • 世間の主流に抗っている
  • 「アテンション・レジスタンス」というかっこよくて分かりやすい肩書を与えてくれる
  • いつになく、他人の主張に深く賛同している自分がいる

このあたりがいかにもそれっぽいと感じるのです。いやそんなこと言ったらなんだってそういうふうに見えるじゃん、ってツッコミが飛んできそうですが。

何事も普遍的に正しいということはないので、適宜疑いながら取り入れていきたいです。



もし、デジタル・テクノロジーに依存した状態に「順応した」人が主流になってしまったら

著者は、「デジタル・テクノロジーによる他者との『接続』は、実世界での交流に比べて質が低いため、実世界での交流の完全な代替とすることができない」と主張していますが。

もしその状態を当たり前だと思う人が増えてしまったら、と考えると、すごくゾッとします。『サピエンス全史』の最後の方を読んだときも、似たようなことを考えました。

デジタル・テクノロジーで他者と「接続」するだけで満足していると思い込む、もしくは、デジタル・テクノロジーだけで満足する体質を実際に獲得する、そんな人がもし今後増えたら。デジタル・テクノロジーに依存していない人は、デジタル・テクノロジーからメリットだけを享受できるどころか、極めて不利な立場に追い込まれてしまうのではないかと。

そうならないことを願ってやみませんし、またそうならないように精一杯周りに働きかけていこうとは思いますが、どうしても最悪の事態を思い浮かべてしまいます。



質の高い余暇活動の難易度が高い件

著者も「別に全部実行に移さなくてもいいよ」とは言っていますけど。

質の高い余暇活動の教訓1~3は私のようなコミュ障にとってはハードルが高すぎるんですよ。つまりは「オフラインで他人と関われ」ってことでしょう。無理ですよ。新型コロナウイルスが流行っているいないにかかわらず、無理です(キッパリ)

そりゃあ、今よりもう少しだけなら、オフラインで他人と関わる機会があった方がいいとは思いますよ。心の健康のためにね。だけど、コミュ障はオフラインのコミュニケーションが色んな理由でどうしてもうまくいかなくて満足できないからオンラインに流れるのであって。オフラインで他人と濃密にキャッキャウフフすること自体を生き甲斐にするのは到底不可能なんです。アテンション・エコノミーによって自分はコミュ障であると思わされている人もいるのでしょうが、私は本当に生まれついてのコミュ障なんですよ!(泣)


とりあえず、私はSNSに依存せず、他人とあまり関わらないオン・オフ活動を頑張る方針で行きます。詳しくは別記事にまとめました。よろしければご覧ください。








最後までお読みくださり、ありがとうございました。

本書で頻繁に引用されているシェリー・タークルの『一緒にいてもスマホ』の感想も書きました。よろしければお読みください。