星を匿す雲

主にTVゲーム、漫画、小説、史跡巡りの感想を書いているブログです。基本的に【ネタバレあり】ですのでご注意ください。

デジタル・ミニマリストへの道:実践編

皆様こんにちは。赤城です。

カル・ニューポート著、池田真紀子訳の『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』に基づいたデジタル・ミニマリズムの実践結果などをご報告いたします。




デジタル・ミニマリストとは?

デジタル・ミニマリストの定義について説明しています。説明が不要な方は次の項目に飛んでください。


私たちは、SNSスマホアプリなどのデジタル・テクノロジー依存症に陥りつつあります。

デジタル・テクノロジーは、上手に使えば革新的なメリットを享受できます。しかし、デジタル・テクノロジーそれ自体に意図的な中毒性があるため、よほど気を付けていなければ、私たちの時間は過剰に奪われ、心の健康が損なわれます。結果として、デジタル・テクノロジーを使用すると、メリットよりもデメリットの方が多くなりがちです。


デジタル・ミニマリストとは、『デジタル・ミニマリスト』の著者ニューポート氏が提唱している、「デジタル・テクノロジーのデメリットを排除し、メリットのみを享受するためにデジタル・ミニマリズムを実践する人々」のことです。

デジタル・ミニマリズムの原則は下記の通りです。

  • 個々のテクノロジーを自分が重きを置いている事柄を後押ししてくれるか否かを基準に厳選
  • 厳選したテクノロジーについても最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれらだけに集中
  • 他のテクノロジーは一切使用しない


しかしながら、個々人の状況によって、テクノロジーをどの程度厳選し、どの程度最適化するかは異なっていて当然です(ニューポート氏もそのように述べています)。

ですので、一口にデジタル・ミニマリストと言っても、「絶対に正しい」と認定されている型があるわけでも、気持ち悪いほど画一化されているわけでもありません。デジタル・ミニマリストの中には莫大なバリエーションが存在するべきなのです。



本記事の目的

したがって、本記事では、バリエーションの一例として、アナログ(オフライン)よりもデジタル(オンライン)の方が好きな私のデジタル・ミニマリズムの実践の途中経過などをお伝えします。

デジタル・ミニマリズムに興味のある方や、やってみようと思っている方のご参考になれば幸いです。




デジタル片づけ

ニューポート氏は、デジタル・ミニマリストになるための短期決戦プランとして、「デジタル片づけ」を提案しています。


デジタル片づけは、次のような3つの段階を踏みます。

  1. 30日間のリセット期間を定め、かならずしも必要ではないテクノロジーの利用を休止する。

  2. この30日間に、楽しくてやりがいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする。

  3. 休止期間が終わったら、(中略)休止していたテクノロジーを再導入する。その一つひとつについて、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討する。

(出典:『デジタル・ミニマリスト』p.82より)

私は今、第3段階に入ったところです。

今回は

  • 第1段階と第2段階の結果
  • 第3段階の実践計画

をご報告します。

第1段階と第2段階の実践計画は前回のデジタル・ミニマリズム実践計画の記事に記載しております。




「デジタル片づけ」第1段階の結果

この段階では、デジタル・テクノロジーへの依存を断ち切るため、30日間、必須ではないテクノロジーの利用を休止、または厳格な「運用規定」を定めて無制限に使用しない(使用を制限する)ようにします。



実践結果

私は下記の通りルールを定めて30日間テクノロジーの利用を休止しました。詳しい運用規定等知りたい方は前回の記事をご確認ください。



なお、当初の計画通りに休止できなかったテクノロジーは、右横に★を付けてあります。★の横の数字は休止できなかった理由(後述)を示しています。

うん……★多すぎますね(笑)。私のテクノロジーへの依存度合いの強さが見て取れます。

テクノロジーを使ってしまったその日から30日の計算をやり直した方がいいかなとも思いましたが、そんなことをやっているといつまで経っても第1段階から脱せそうにないので諦めましたテヘペロ


テクノロジーを休止できなかった理由は下記の通りです。



★1:第2段階で行う活動の関係上、必要になったから

この理由が該当するのは「全面的に休止するテクノロジー」のうち「『運用規定ありで利用するテクノロジー』に記載されていないスマホアプリ全て」です。これだけだと何を意味しているのか分かりづらいんですけど、つまりは

「デジタル片づけを開始した時点では使用していなかったテクノロジーを新たに使用するのも全面的に禁止した」

ということです。


この点に関しては見出しに書いた通りです。第2段階で行う活動で数種類のスマホアプリが必要なので導入することになりました。

ただ、これらのスマホアプリも最低限の機能の使用に留めて、SNS機能は使わないようにします。

使い始めて判明したことですが、今時のスマホアプリは、だいたいどれにも交流する機能や他の人のスコアを閲覧できる機能が付いているんですね。なるべく長くユーザの注意を惹きつけるための戦略なのでしょう。他の人と交流や競争をするのが好きな人はそのような戦略に乗ることで得るものがあるでしょうが、私は一部の例外を除いては交流も競争も嫌いなので、付き合う必要もなかろうと思います。したがって、自分の情報は可能な限り非公開に設定し、SNS機能の通知も全て切ってあります。



★2:我慢できなかったから

小学生かよ!? と思いましたか。はい。そしりは甘んじて受けます。というか、この表現はきちんとルールを守れる小学生に失礼ですね。もっと良い罵り文句があったら教えてください。


この理由が該当するのは以下の通り。いずれも運用規定ありで利用する(使用を制限する)はずだったテクノロジーです。


いずれも、1日1回しか見ない、特定のページしか開かないなどの制限を設けていて、10日間くらいは忠実に守っていました。しかし、それ以降は、気づけば1日3回くらいはチェックしていたり、どうでもいいページを開いていたりしました。

コンピュータ・ゲームに関しては、友人から勧められてミステリADVの"Return of the Obra Dinn(オブラ・ディン号の帰還)"をプレイしてしまいました。無念。でもものすごく面白かったのでご興味がある方はぜひプレイしてみてください。


我慢できなかった原因は、手軽に利用できることと、自分でも全く気づかないうちに禁断症状離脱症状)が出ていたためかもしれません。

禁断症状とは、例えばニコチン依存症の人がニコチンの効果が切れたときにイライラしたり不安になったりする状態のことです。その状態を解消するためについタバコを吸い、ニコチンの効果が切れれば再びイライラして……というのが依存症の基本的な流れです。

私の場合は禁断症状がデジタルなコミュニケーション媒体全般に関して起こっているのかもしれません。いや~、怖いですねぇ。そもそも私は他者と交流するのが基本的に嫌いなはずなのにコミュニケーション媒体に依存していること自体も相当怖いです。


もっと厳格に、自分の生命の存亡に関わるテクノロジー以外は全て休止してしまった方がよかったと反省しています。


とはいえ、以前に比べれば使用している時間は格段に減りました。以前は、ひどい日だと、仕事をしているときと風呂やトイレに入っているとき以外の時間を全てスマホに費やしていましたが、そんなことはなくなりました。油断は禁物ですけどね! 気づいたら元の木阿弥だったとか、よくある話ですから。




「デジタル片づけ」第3段階

順番が前後しますが、続いては「デジタル片づけ」第3段階の途中経過をご報告します。


この段階では、第1段階で休止した各テクノロジーについて、自分が重きを置いている事柄を後押ししてくれる最善の方法であるかどうかを判断し、最善の方法であれば運用規定を定めて利用を再開します。そうでなければ利用を停止します。

注意したいのは、利用を再開するときは、単に「なんらかのメリットがある」だけでは不十分で、それが自分の大切に思うことを後押ししてくれる最善の方法であるかどうかを考えなければならない、ということです。ちょっとしたメリットだけでは、テクノロジーが私たちに与えるデメリット(時間を際限なく奪う、不必要に大きな承認欲求を催させる、など)を上回ることはないからです。



そもそも、自分が重きを置いている事柄とは?

「自分が重きを置いている事柄」については、『デジタル・ミニマリズム』の中でははっきりと定義されていません。しかし恐らく、「デジタル片づけ」第2段階で発見する必要のある、「楽しくてやりがいのある活動や行動」の基礎となる考え方を指すと思われます。


私にとってどのような事柄が上記に該当するか考えたところ、下記の通りとなりました。

  1. 自分の内面の世界を大切にすること
  2. 「推し」(自分の大好きな実在あるいは架空の人物等)を愛でること
  3. 自分の書いた小説をある程度多くの人に読んでもらい、感動してもらうこと
  4. 家族や友人を大切にすること
  5. 仕事や余暇の活動を通じて社会貢献すること
  6. 自分の目の保養になるレベルのイラストを描けるようになること
  7. あわよくば一銭でもいいからお金をもらえる小説家になること

優先順位が高い順です。えらく抽象的な表現が多い気がしますが、目を瞑っていただけますようお願いします。


これらの事柄を後押ししてくれるかどうかで、第1段階で挙げたテクノロジーの選別、および、運用規定の設定を行いました。



制限なく利用するテクノロジー

鉄道情報検索アプリ

自宅から会社までは複数経路あるので、時刻や混雑状況によってどの経路が最適か調べるために使います。また、不慣れな場所へ行くときも利用します。

重きを置いている事柄全般により時間を割くために必須であると判断しました。


キャリアメール

家族との事務連絡用です。家族を大切にするという目的のために必須です。

私の家族は私以外揃ってテクノロジー音痴なため、メールで事務連絡以上のコミュニケーションを取ることはそもそも不可能です。というか、最近は事務連絡のメールさえやり取りしなくなりました。ある意味、救われています。


Pomera(文章)やCLIP STUDIO(イラスト)等の制作ツール

創作活動をするときに使います。重きを置いている事柄のうち、小説と絵の制作に対してのメリットが極めて大きいです。

アナログの制作ツールの何が嫌って、取り返しがつかないことなんですよね。私は極度の面倒臭がり屋かつケアレスミスの多い人間であるため、一旦作り始めるとリカバリーしづらいアナログの制作ツールで作品の制作を行うと、何かの作業でつまづいたとき、そのまま飽きて諦めてしまいます。また、整理整頓も苦手であるため、アナログの制作ツールでは、途中まで制作した作品を紛失する事故も頻繁に起こります。

デジタルの制作ツールでも同じことが絶対に起こらないとは言えませんが、バックアップファイルを容易に作成できますし、どこかのフォルダに作品を全て放り込むことにしておけば、保存媒体自体を紛失または故障させない限り、作品を紛失することもありません。さらに、CLIP STUDIOに関しては、制作を補助する機能が充実していて、自分一人で一から全てを制作するよりも速く、完成度の高い作品を作ることができます。

ただし、アナログの制作ツールの方が創作には向いているという話もよく聞くので、少なくとも小説を書くときはアナログのツールも活用していきたいです。イラストは、小説より優先順位が低く、目標としているレベルも低い(そして自分自身の技能も低い)ため、今はそこまでこだわらなくていいかなと。デジタルに満足できなくなったらまた考えます。



全面的に休止するテクノロジー

Google Analytics

何かあったときのために削除はしません。でも、自分から進んでは見に行かないようにします。

アフィリエイトもやっているので、万が一すごい収益が上げられるようになれば、さらなる収益化のために確認するようになるかもしれません。ただ、私のブログからリンクを貼っている商品(?)はどれもあまり高額ではないし、記事を読んだ人にその商品を買ってもらえるような施策も特に取っていないのです。あくまで、自分の好きなコンテンツのレビューや感想を書いて収益が出たら嬉しいな~程度の気分でリンクを貼っているだけですから。したがって今後も収益が上がることはなく、進んで見に行くこともないと思います。


Instagram

前回の記事で経緯は書きました。今後も使うことはないでしょう。私はキラッキラなリア充の世界とは縁がないんや。



運用規定ありで利用するテクノロジー

LINE

  • 1日1回
  • 友人・特定の業者とのメッセージ受発信のみ
  • 通知は全て切る

友人を大切にするという目的のために必須です。ただし、見るのは1日1回。

それと、最近は飲食店などもLINEで予約可能なところが多いため、行きつけの店に予約を入れるときにも使おうと思っています。


Facebook

  • PCのみ
  • 適宜(フリーメールに通知が来るので定期的な確認は不要)
  • サークル関連の事務連絡のみ
  • ダイレクトメッセージ以外の通知は切る

これは、友人を大切にする社会貢献する、あたりの目的のために必須です。私が加入している社会人サークルの主な連絡手段がFacebookのダイレクトメッセージとフリーメールだからです。

元々、他の人の近況などは大して興味がないので見ていません。今後も見ないようにします。念のため申し上げますと、他の人の近況自体に興味がないのではなく、Facebook自己顕示欲満々の投稿(偏見)が好きではないだけです。Facebookでつながっている人とはリアルでもつながっているのですから、どうせなら直接面と向かって色んな話を聞けた方が嬉しいです。え? 私は面と向かって話すほどの価値もないって? すみません(絶望)


フリーメール

  • PCのみ
  • 1日1回
  • サークル関連および各種サービス関連の事務連絡のみ
  • 通知は全て切る

これも、ほぼFacebookと同じ目的で使います。色々なサービスのアカウントと紐づけを行っているので、それらのサービスの業者とのやり取りにも使います。


インターネット検索

  • Googleマップの表示
  • 小説や絵を制作するとき、勉強するときの資料集め
  • 好きな作品の公式情報や二次創作を1か月ごとにまとめて確認
  • お気に入りの作家のブログ等を1か月ごとにまとめて確認
  • 新規投稿したブログ記事や小説の表示確認

休止期間より若干項目を増やしました。

資料集めは小説や絵の制作に、ブログ記事の更新確認は巡り巡って社会貢献に大いに役立ちます(後述するように、私はこのブログで一応社会貢献(笑)をしているつもりです)。

それと、さすがに自分の妄想以外の推しの供給がなくなるのは耐えられませんでした。推しを愛でるために、推しの情報を定期的に入手することは重要ですよね。

「1ヶ月ごとにまとめて」としたのは、その方が時間を細切れにしないで済むのと、虚しくならずに済むからです。私が推すキャラや作品、作家さんは供給量が多くないというかほぼ供給停止している場合が多いので、毎日チェックしているとなんら動きがないことが如実に分かって気が滅入ってくるんですよ。それなのに休止期間前まではほぼ毎日チェックしていたのです。う~ん、立派な依存症ですねぇ。


Walkman

  • 「ながら聴き」はしない

元来、音楽はほとんど聴きません。聴くとしても、音楽を聴くこと(そしてその音楽により自分の頭の中に湧き出る想念もとい妄想)だけに集中したいと以前から思っています。極端にマルチタスクが苦手なので、「ながら聴き」をすると音楽に気を取られて階段から落ちたり電車を乗り間違えたりするためです。

休止期間中は「在宅勤務中に単純作業を行っているときのみ」と制限を付けていましたが、実際はほぼ使わなかったですね。単純作業でさえ、胸熱な音楽が流れてくると間違えたり速度が落ちたりすると判明したからです。作業用BGMとか聴いてる人の頭の中が全く理解できない

でも、好きな音楽を聴いて想念を沸き立たせることにより自分の内面の世界を豊かにする機会は残しておきたいので、これからも条件付きで利用します。


コンピュータ・ゲーム(スマホゲーム含む)

  • 新たに購入するのは月1本まで
  • 英語でプレイできるものは英語でプレイする
  • オンラインの交流・対戦機能は使わない
  • スマホゲームはコンシューマゲームやPCゲームの派生作品のみ、ストーリーを楽しむためだけにプレイする

初めに言っておきたいのは、私はコンピュータ・ゲームが好きだということです。そもそも私の現在のアイデンティティはゲームに依るところが大きいからです(参考記事:【スキあらば自分語り①】ポケモンで人生始まった話 - 星を匿す雲。だから、ゲームが依存症を引き起こすものとして闇雲に非難されているのを見て微妙な気分になったり、他の創作物と同列に扱われないことに対して憤慨したりします。ゲームは決して浅薄な娯楽ではなく、小説や映画や音楽と同じように、その気になればいくらでも深く味わって人生の糧にすることのできるコンテンツです。したがって、自分の内面を充実させるために、これからもプレイしていきたいです。

ただ、私はゲーム「だけ」が好きなわけではありません。小説を読んだり書いたり旅行したり勉強したり人生の意味について悩んだりと、他にもやりたいことがたくさんあります。そのため、いくら楽しくても、際限なくゲームばかりプレイすることは避けたいと考えています。

さらに、ゲームならなんでもOKなわけでもありません。競争が嫌いなため、他のプレイヤーと交流したり対戦したりするのは性に合いません。「ただ交流するだけなら競争にはならないのでは?」と思われるかもしれませんが、私は交流するとつい自分のスコアを他の人と比べて「私のスコア、やばすぎ!?」とか思って頑張ってしまい、精神が摩耗するんですよね……。

そして、私はゲームは好きですが、スマホゲームは苦手です。そもそもスマホが嫌いだし、スマホゲームのビジネスモデル(ガチャ)も嫌いだし、スマホゲームにありがちな単純作業も嫌いだし、片手間でプレイできる性質上ストーリーの浅いものが多いからです。最近はストーリーの充実しているスマホゲームもあると聞くものの、もはや生理的嫌悪の域に達していて、申し訳ありませんが手を出す気になりません。

ですので、スマホゲームは全面的に禁止したかった、のですが、自分の好きなゲームシリーズの本編を補足する情報を含んだスマホゲーム(例:TESレジェンド)はプレイできる余地を残しておくことにしました。本編を補足する情報を得て、本編に関する自分の考察を深めることで、推しを愛でることにつなげたいからです。

以上のような理由から、ゲームに関しては今後、上記のような制限を設けて楽しむこととしました。

英語でプレイするのは、言っていることを理解するのに頭を使わないといけなくて疲れるので、際限なくプレイすることはなくなると思ったからです。まあそれでもスカイリムとかモロウウィンドとか際限なくやりがちなんですけどね。それならそれで、最悪、英語の勉強にはなっているからいいかなと。もし万が一英語に完全に慣れてしまったら、中国語の勉強を始めます(笑)。


Kindle

  • 本、漫画の閲覧・購入のみ

重きを置いている事柄を後押ししてくれる、というより、家のスペースが圧倒的に足りないため、書き込みをしたい本以外は電子書籍で購入します。本のレビューや、読み終わった後に出てくる「あなたにはこの本もオススメ!」みたいなのは見ません。


はてなブログ

  • PCのみ
  • 記事の作成・投稿・修正、コメント返信のみ
  • コメント返信は気力が十分なタイミングで。返信しづらいときは無理に返信しない
  • はてなスターは非表示にする
  • 通知は全て切る

面白かった本や漫画、ゲームを紹介することで社会貢献するため、また、微力ながら推しの良さを布教することで推しを愛でるために続けます。加えて、小説を書く訓練のために、例え誰も読んでくれなかろうが、文章を書いて公開する場は必要であると考えています。

休止期間中と同様、読者登録しているブログの記事を読むとか、はてブを漁るとかはやらないようにします。

コメントは滅多にいただけないので、たま~にいただくと滅茶苦茶嬉しくなってすぐに返信しようと頑張りがちです。しかし、コメント返信にも多大な気力が必要なんですよね、コミュ障の場合は。そして、コメントをいただいたタイミングにいつも気力十分かというと、そうではないのです。そんなときに無理して書こうとすると、自分の心が仕事に集中できないくらい荒んだり、失礼なことを書いてしまったりする恐れがあります。したがって、コメント返信は無理のない範囲で行うことにします。

まあ以前から半年前のコメントに返信するとかザラだったんですが、改めて自分に言い聞かせておきたかったのです。コメントくださる皆様、申し訳ございません。俺のコメントに返信せずにテメエの記事だけバンバン上げやがってこなクソ! と思うこともあるかと存じますが、そういうわけでご勘弁くださいますようお願い申し上げます。

はてなスターは、ブログを始めた当初は非表示にしていましたが、一時期自分自身が「既読」を表現するのに他の人のブログ記事に付けていたことがあったため、同じことをしてもらえるように表示したものです。これも、「いいね」と同じような間歇強化をもたらすため、このたび、改めて非表示にしました。皆様、もし私の記事を「いいね」と思ったら、ぜひSNSやリアルで拡散するか、コメントください!!

なお、正直なところ、ブログに以前ほど情熱を注ぐことは最早できないと感じました。やりたいことが増えてブログに割いている時間が減ったのに、他人様の閲覧に供せるレベルの文章を作って公開するのにあまりにも時間がかかりすぎるからです。いや、時間がかかるのは自分の鍛錬が足りないせいで、その鍛錬を積むためには適宜テクニックを学びつつ文章を書いて書いて書きまくるしかなく、書きまくる手段としてブログは有効なのですが。他のやりたいことを通じても鍛錬は積めそうですので、ブログにかけていた時間を分散させていこうと思っております。


Twitter

  • PCのみ
  • TweetDeckを利用
  • 1日1回のみ
  • ページを開いた時点で見えているTLおよび推しキャラ情報の検索結果のみを確認。更新したり、延々下へスクロールしたりしない
  • 「リプライ」「いいね」「リツイート」は自分ルールに合致したときのみ行う
  • 他の人のツイートへのリアクションではない、自分自身の純粋な投稿は、ブログや自分の作品の告知ツイート、自分の作品自体のツイート、読んだ本等の感想のみ
  • ダイレクトメッセージ、リプライ以外のリアクションの通知は切る
  • 苦痛を感じたら遠慮せずブロックとミュートで対処

休止期間中の運用規定をほぼそのまま継続+ブロックとミュートの規定を追加しました。

この1ヶ月、ツイッターをほぼ見ない生活を送ったところ、精神状態がかなり安定しました。2008年から10年以上の歳月をツイッターとともに過ごしてきた私にとっては、非常に悲しい結果となりました。

精神状態が安定した理由ははっきりしています。他人の愚痴や、競争心を煽る言説や、胸糞悪い事件の情報が全く入ってこなくなったためです。

私がツイッターの利用を始めた2008年頃、ツイッターは未だ知る人ぞ知るフロンティアでした。少なくとも、私のリアルの友人知人でツイッターを使っている人は皆無でした。ツイッターをプロモーションやマーケティングのツールとして使っている人も私の観測範囲には見当たりませんでした。私は、顔も本名も知らないフォロイーたちの学術ツイートやネタツイートを無邪気に面白がって「ふぁぼ」っていました。そうすることで、現実世界の重苦しさから逃れて安らぎを得ていました。つまり、私の本来のツイッターの利用目的は、現実世界からのささやかな逃避だったのです。

でも、それから何年か経つと、ツイッター現実世界の一部となりました。私の友人知人も含めた大勢の人がやってきて、現実世界と同じような色々な意見、感情、思惑を振りまき始めたからです。(ユーザが爆発的に増えたのはスマホ普及後ですが、それ以前から学校・趣味の付き合いなどで始める層は一定数いました。)

もちろん、そうなって良かったと思ったこともあります。フェミニズムの初歩的な概念を知ったこと。自分がサブカルチャーを愛していることを素直に認められるようになったこと。同じ作品やキャラクターを好きな同志と巡り会え、萌え語りができたこと。自分では知りえないような、面白い小説や漫画の情報をたくさん入手できたこと。これらは全て、ツイッターに大勢の人が参入したおかげです。

しかし、それら以外は、私にとって耐えがたいほどのノイズでした。当たり前ですね、ツイッターは現実世界の避難場所だったはずなのに、いつの間にか現実世界そのもの、つまり、他人の愚痴、競争心を煽る言説、胸糞悪い事件の情報などが集まる場所になり、自分自身もいつの間にかそのようなノイズを発信するようになっていたのですから。

無論、そういったことにも、多少であれば真摯に耳を傾けたかったし、そうすることで得るものもあったのです。ただ、最近はあまりにも数が多くなりすぎました。むしろ現実世界よりもたくさん届くようになってしまいました。

本当は、利用を停止するか、ノイズとなる情報を徹底的に遮断すればよかったのですが、ここまでずるずると使い続けてしまいました。

そこで、今後はツイッターの利用を上記の規定に沿って最小限に留めることにします。完全に停止しないのは、「推し」が同じ方々のツイートを目にして自分の推しへの愛を深めるため、面白いコンテンツを簡単に紹介して社会貢献するため、自分の制作した作品を宣伝し、少しでも見てもらえるようにするためです。


以上が「デジタル片づけ」第3段階の途中経過の報告です。



それでも私はデジタル(オンライン)が好き

ところで、初めに私はアナログ(オフライン)よりもデジタル(オンライン)の方が好きだと述べました。それは現在でも変わっていません。


私は小説やイラストを制作する、面白かったコンテンツの感想を述べるなどの表現活動が好きで、それらを誰かに見てもらいたいと思っているのに、オフラインでは発表する場に全く恵まれていません。お願いすれば家族や友人が見てくれないこともありませんが、ことごとく趣味が合わないため、付き合わせるのは心苦しいです。

しかし、オンラインのブログやWebページ上で発表すれば、趣味の合う人が全世界から訪ねてきてくれますし、つまらないと思ったら途中でブラウザバックしてもらえます。非常に気楽で、相互にとって負担が少なくて済みます。

自分勝手だとか、リアルで仲間を探した方がいいとか言われたら確かにそうかもしれません。でも、現実世界のどこを探したら見つかるんでしょうか、私の偏執的な思想が病的に凝縮された作品を読んでくれる人や、マイナーなコンテンツのマイナーなキャラクターのマイナーな良さを分かってくれる人って。


というわけで、私はこれからも、精神を削られないようにしつつ、オンラインの活動を大切にしていきます。




「デジタル片づけ」第2段階の結果

最後に、第2段階の結果について報告します。

第2段階とは、テクノロジーの使用を休止している30日間に、楽しくてやりがいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする、というものです。



実践結果

私が楽しくてやりがいのある活動の候補として前回の記事で挙げていた事柄は下記の通りです。

  1. プレイ済みのゲームや本の感想をはてなブログに書く
  2. PCかPomeraで小説を書く
  3. CLIP STUDIOで絵を描く
  4. 読書する
  5. 資格や語学の勉強をする
  6. 体力向上のためにランニングをする
  7. 料理する

これらのうち、「料理する」以外は進展がありましたので、簡単にご報告します。


プレイ済みのゲームや本の感想をはてなブログに書く

第3段階の方に書いたようなことを悟りました。詳しくは第3段階のはてなブログの項をご確認ください。


PCかPomeraで小説を書く

相変わらず完成する気配はないですが、書くことは書きました。そのうちカクヨムあたりに発表するかもしれません。10年後とかに。

あと、ノウハウ本で面白い小説の書き方を学んだり、アウトラインプロセッサの導入を検討したりしています。

色々やってみて、やっぱり自分は文章を書くのが得意ではないし、話の構成方法とか登場人物の動かし方とか何もかも未熟で、「文芸サークルの同期の○○や同人作家の○○さんや有名小説家の○○先生と比べて自分は……」なんて劣等感で押しつぶされそうになったりもするけど、純粋に物語を作るのが好きなんだな~と思うことができました。


CLIP STUDIOで絵を描く

ほとんど公開はしていませんが、CLIP STUDIOの便利な機能を試しつつ、ちょこちょこ描いています。クリスタはマジで便利やで。初学者の私でも分かる。


読書する

読書するのがだんだん楽しくなってきました

いや、昔から楽しいとは思っていたのですが。以前は不安もあったんですよね、自分が正しい読み方をしているか、とか、他の人がもっと楽しいこと、実になることをしているかもしれないのに、自分はのんびり読書していていいのか、とか。でも今は、本を読んでいる間はそういうことがどうでもよくなります。

文字をひたすら追うのは物足りないようで実はそうでもなくて、他のコンテンツよりも深く自分自身の思考の中に入り込める気がします。他のコンテンツは漫画にせよゲームにせよ映画にせよ、見るべきところがありすぎて気が散るし、自分のペースでストーリーを受容することができないので少々疲れます。先述の通り、私の最優先事項は自分の内面の世界を大切にすることですから、自分の思考に集中できて、時折そこにいい感じに波紋を投げかけてくれる読書という活動は、なかなか自分に合っているんじゃないかと思えるようになりました。


資格や語学の勉強をする

私は、毎日何かをコツコツ続ける(努力する)のが苦手で、よほどの強制力がない限りはどんな試みも三日坊主になってしまう人間でした。そのせいで、人生の重大な局面で常に大失敗してきた、という自覚が強くありました。

これからも努力が苦手なことに変わりはありません。が、デジタル片づけ期間中に始めたとある資格の勉強が、なぜか無事に継続できていることを、今ここで盛大に自画自賛したいと思います。

いよっ! やればできるじゃん、私!! フレーッフレーッ、わーたーし!!!

本当に不思議です。その資格を持っていても仕事や転職で有利になるとは思われず、学生の頃の専攻とも全く畑違いで、その上、合格するのがすごく難しいのです。無論、完全に規則正しく続けられているわけもなく、勉強を始めて1時間くらい経つと飽きてふて寝したり推しについて妄想したりします。それでも毎日勉強自体は続けられています。

これからも勉強を続けていけるか、その資格に合格できるかは分かりませんが、ひとまずは、勉強を継続している期間の最長記録が日々更新されていることに、自ら惜しみない拍手を送っております。

今までこのような努力ができなかったのは、ネットとSNSに注意を奪われすぎていたから、とはあまり言いたくありません。私の持って生まれた資質も関係しているからです。しかし、場合によっては、ネットとSNSが一因となっている可能性も否めないと思いました。

なぜかというと、私はとにかく小心者なので、他人の評価が気になるのです。本当に大切なのは自分の内面を豊かにすることだと理解してはいても、どうしても他人のことを気にしてしまいます。

私は、何かの資格を取りたいと思ったときはまずネットで勉強方法などを調べますが、肝心の勉強方法ではなく、「そんな資格、役に立たない」とか「○歳から始めたのでは遅い」とかいうネガティヴな意見ばかりについ目が行って、心が折れてしまいます。あとは、資格そのものとは全然関係なく、ツイッターで「○○な奴はお先真っ暗」みたいなツイートが流れてきたとき、自分が○○だとやっぱり心が折れて何も手につかなくなることもままあります。私、ツイッターで批判されがちな「○○な奴」にだいたい当てはまるので、心が折れる頻度も高かったのです。

うっわぁ面倒くっっっっっっせぇなあこいつ!!! ネット上の赤の他人の言うことなんざ気にするなよ!! と自分でも思いますけれども、今のところ、ネット上の他人のことを全く意に介さないダイヤモンド・メンタルを身につける手立ては見つかっていません。なので、とりあえずネット上の他人の言うことがなるべく目に入らないようにするのが一番だろうと思いました。


体力向上のためにランニングをする

ランニングをするのは一日で諦めました

代わりに、友人から勧められて"Fit Boxing"というニンテンドースイッチのフィットネス・ゲーム(?)を始めました。

これがまた、驚くほど毎日続いています

別にボクシングが好きなわけでも、ゲームに出てくるインストラクターが気に入っているわけでもありません。きちんとしたボクシングの所作が身につけられているかというとそうでもないです。

ただ、ランニングやスポーツジムとは違って、家の中でできるので手軽ですし、他人の目が全くないので気が楽なんです。外に出ること、他人に見られることでやる気が出る人はランニングやスポーツジムも楽しいのでしょうが(もちろん家の外でも中でも、他人の目があろうとなかろうと気にせずマイペースにできる人もいるのでしょうが)、私はそういうタイプではなかったんだなあと思いました。今まで全然気づきませんでした。単に、自分はどう頑張っても運動を続けられない性格なのだ、と思い込んでいました。

もし万が一ゲームでは物足りなくなったら、昔嗜んでいた武道(試合で一度も勝ったことがない)でも再開してみようかと思っています。現在は新型コロナウイルス騒ぎで難しいですが。




「デジタル片づけ」全体の感想

やってみてよかったです。

いかに自分がテクノロジー(特にツイッター)に心を惑わされていたかがよく分かり、適切な距離を取ることができました。そして、自分が重きを置いている事柄を見つめ直し、わずかながらその進展を後押しすることもできました。


まあ、余分なテクノロジーから手を引いたところで、冷酷無比な現実世界というさらなる強敵が私の目標達成を邪魔してくることに変わりはないのですけれども。私がツイッターを利用し始めたのだって、元々は現実世界の息苦しさから逃れるためだったわけですし。

ただ、強敵が2人(余分なテクノロジーと現実世界)から1人(現実世界のみ)に減った(元に戻った)のはいいことです。さらに、適切な距離感を保てれば、フロンティアだった頃のツイッターのように、テクノロジーを味方につけることも不可能ではないのです。


これからも、私はデジタル・テクノロジーが好きなデジタル・ミニマリストとしての活動を続けていこうと思います。また何かまとまって報告できることがあったら記事にします。








最後までお読みくださり、ありがとうございました。

『デジタル・ミニマリスト』の書籍自体の感想はこちらに書きました。


『デジタル・ミニマリスト』でよく引用されているシェリー・タークルの『一緒にいてもスマホ』の感想も書いております