星を匿す雲

主にTVゲーム、漫画、小説、史跡巡りの感想を書いているブログです。基本的に【ネタバレあり】ですのでご注意ください。

【レビュー・感想】夏への扉:1956年の想像力の限界を実感させる古典SF

皆様こんにちは。赤城です。

ロバート・A・ハインラインSF小説夏への扉について紹介と感想を書きました。

前半はネタバレなしレビュー後半はネタバレしている感想になっております。ご注意ください。




ネタバレなしレビュー

はじめに本書のネタバレなしレビューをお伝えします。



あらすじ

1970年12月、ロサンジェルス在住の発明家ダニエル・ブーン・デイヴィスは自暴自棄になっていた。一緒に会社を立ち上げた親友と恋人に手ひどく裏切られて、自分の発明品に対する権利と居場所を失ってしまったのだ。彼に残されたのは愛猫のピートと、親友の継娘(ままむすめ)でピートの面倒をよく見てくれていたリッキイのみ。

彼はこの現実から逃れるため、流行りの「冷凍睡眠」で30年間眠りにつくことを決意。その前に一矢報いてやろうと思い、親友の家を訪れるのだが……。



情熱的な発明家としての一面と、猫好きのお人好しの一面と

ダニエルは新しい技術を身に着けることへの情熱と、それらを応用する能力が飛び抜けている。どこへ行っても、彼は意欲的に最新の技術を学び、人々の生活をより便利にできるものを作ることに心血を注ぐ。だがそれゆえに人付き合いが下手で、親友たちに足元を掬われてしまうのである。

そのひたむきな姿勢に読者は感銘を受け、同時に彼のピートの偏愛っぷりや少し間の抜けたところに親しみやすさを覚えるだろう。


ちなみに、猫のピートは本書の序盤におけるキーパーソン、いや、キーキャットである。猫好きの方は彼の活躍ぶりをぜひご覧いただきたい。ただし、全編にわたって大活躍するというわけではないので注意してほしい。本書は巷では「猫SF」とも呼ばれているようだが、個人的にはそう呼ぶのは憚られる。



古臭さの否めない古典SF

本書が原語で発表されたのは1956年である。1956年は、朝鮮戦争がやっと中断したと思ったらベトナム戦争が始まり、米ソ対立が激化していた頃だ(現代史に興味がないのでこれくらいしか思い浮かばない、お許しいただきたい)。より身近な例を挙げると、私の父親がまだ物心つかぬ幼児であった時代だ。なんてこった。そんなわけで、2020年現在アラサーの私にとって、かなり古い話なのは否めない。


もちろん、それでも今を生きる人が読んでもなお新鮮に感じられる部分、普遍的な真理を体現している部分は多い。例えば、本作でハインラインが描いた技術自体は2020年を生きる私から見れば驚くほどのこともないが、主人公ダニエルがそれらの技術に真摯に向き合うさまは、どの時代の発明家にも普遍的なもののように思われ、発明家や技術者に少なからぬ憧れを抱いている私にとって印象深かった。


しかし、登場人物、特に主人公ダニエルの価値観の古臭さと、それゆえにもたらされる、陳腐とは言わないまでもだいたい予想通りの結末には若干辟易した。

ネタバレにならない範囲でお伝えすると、主人公の女性に対する認識がとても古臭い。そのせいで終盤の展開にあまり納得できない。もう少しドライな結末を迎えてくれると期待していたが1956年なら必然的にそうなるんだろうな(偏見)、という感じである。これ以上書くと「このエセフェミニストが! ポリコレ論者が!」と叩かれそうなので黙る。



まとめ

本書は、1956年から現代まで長く読み続けられている、古典SFの佳作の一つだ。しかるに、SF好きな人が読めば、心に響くものは必ずあると思う。

ただし、いわゆるハードSFが好きな人、女性差別的な言動に拒否感を抱く人にはあまりオススメできない







読んだことのある方は、よろしければこの後のネタバレあり感想も覗いていってください!
































※この下からネタバレあり感想が始まります。未読の方はご注意ください。





























ネタバレあり感想

以下では本書についてのネタバレあり感想をお伝えします。


  • ピートの生態を表現する文章が実に文学的かつ的確である
    まずピートの本名が「護民官ペトロニウス」というところでツボった。かわいい。

    それから、文明の曙光が射してこのかた費やしてきているのだぼくの天気管理の不手際さなどが特に気に入った。そうだよね、猫ってそういうやつらだよね、という感じ。

    無論、極めつけは「夏への扉」である。これが最終盤でのキーワードにもなっていると思うと胸が熱くなる。


  • 特許が出てきてワクワクした
    主人公が発明家ということで、特許の話が出てきて「ウッホォ!」となった。知財業界の出身者なので。

    ただ、無粋なツッコミを入れさせてもらうと、作中のように同時に出した特許出願でも連番で特許番号を取れることはあまりないし、そもそも特許出願した後審査するのに結構時間がかかるので半年で特許を取得するのは不可能だ。と思ったら、1956年あたりは特許出願の数がかなり少なかったから可能だったかもしれない説が浮上した。その頃は年3万件程度の出願であり、近年の年10万件よりはずっと少ない(参考:Issue Years and Patent Numbers)。勉強になりました。

    なお、知財回りの話が好きな方には『ブルーベリー作戦成功す』という小説もオススメだ(ダイマ)。幣ブログでも紹介記事を書いているのでよろしければご参考になさってください。


  • 女性に対する無意識の見下しが目立つ
    主人公のダンは女性全般を自分と対等の存在と見なしていないように私には感じられた。彼にとって女性は綺麗な飾り物か、自分の補助者か、あるいは自分にたてつく悪女のいずれかだ。他の登場人物(女性を含めて)も、物語が主人公の一人称視点で進むゆえ主人公ほどは鼻につかないが、彼と同様の価値観を持っているように思えた。

    そもそもSFというジャンル自体、男性たちのホモソーシャルな英雄譚であることが多い。私は男性キャラクターを中心にして話が展開することには慣れているし、いっそその方が楽だ。女性差別的な言動があっても女性は作品に大きく関わらないことが多いためだいたい流せる。

    また、1956年に書かれたことを考えるとこんなもんだろうとも思う。当時の一般の人々の女性に対する認識をある程度忠実に反映していると考えれば興味深いとも言えなくはない。


  • ダンの女性を見る目のなさはなんなの?
    これにはとてもイライラした。まあ、読者をヤキモキさせてページをめくらせることこそ小説家の本懐なので、見事にハインラインの術に嵌められた(誉め言葉)のだろうけど。ていうか彼に女性を見る目がなければこの話、始まる前に終了しちゃうし。

    先述の通り、彼は女性を単なる綺麗な置き物あるいは家庭で家事や育児に専念する人と思っている節が往々にしてある。未来の社会はロボットが普及していて受付嬢がいないだのなんだのと文句を垂れたり、成長したリッキイが女性らしく美しく成長していることに必要以上に感銘を受けたり、挙げ句にリッキイと結婚することを目論むというなんだかとてもロリコンっぽいことを企てたり(結果的にそれがリッキイを救ったのだがそれはそれ、これはこれである)。

    だからこそ女性を見る目が養われなかったんだろうなと心底納得した。ハインラインがわざとそのような人物として描いたのか、それとも無意識だったのかは分からない。たぶん後者だろうと勝手に思っている。なぜなら、30年後、家事を楽にするロボットが普及しているならもっと女性が社会進出していてもいいはずなのに、相変わらず主だった活躍が描かれるのは男性のみである。これが1956年の想像力の限界なのだろう。良くも悪くも、小説にはそれが書かれた時代の価値観が色濃く反映されるのだと実感させられた作品だ。

    あ、とりあえず、私は例え娘がいてもこの主人公には絶対嫁に行かせたくないです。


  • 例えば中年になったリッキイを探し出して見守るエンドではダメだったのか?
    主人公の女性差別への、神経質とも取れるであろう批判を抜きにしても、私としては本書の終盤は純粋に物語として面白いと思えないのが正直なところだ。むしろ、私が本書をあまり高く評価できない理由は女性差別云々よりもここにある

    ダンは突然都合良く現れたタイムマシンというチート道具を使って過去に戻る必要があったか? 若くてピチピチのリッキイと結婚する必要があったか? またリッキイはそうするまでの存在感(ダンとの関係性)を発揮していたか? 私の答えは全てである。最初から伏線が張られていたのだから必然だろう、と流せるものではなく、物語として面白さがあるかどうかが問題なのである。

    落ちぶれた主人公が最終的に何もかも元通りに取り戻しておまけになんかよく分からないけど主人公一筋の若い美女も手に入れてめでたしめでたし、なんてのは、あまりにも虫の良すぎる、ありきたりな終わり方である。恋愛小説やラノベではなくSF小説なのだから、もっと一筋縄ではいかない終わり方をしてほしかった。失われたものを取り戻すのはまだいいとしてもおまけの若い美女は要らんだろうと思う。

    しかし、それが1956年当時には一般大衆に求められていた、というかもしかしたら当時はとても新鮮だったのかもしれない。そう考えると感慨深い。私がその頃にSF好きの異性愛者の男性として生きていたら、冷凍睡眠と時空移動のロマンを味わい最後には幼い頃から主人公一筋だった若い美女と結婚できる本書は座右の書になっていたかもしれない。


  • 終盤までは面白かった
    色々文句のようなことを書いたが、終盤まで(タイムマシンを使うまで)はとても面白かった。これは本当だ。

    護民官ペトロニウスの絶妙なかわいらしさ、主人公の技術への飽くなき探求心と(女性を下に見ている節があるとはいえ)女性の家事負担を減らそうと力を尽くすさま、何もかも失ってしまいこれからどうなるのかというワクワク感、1956年のSF作家が予想した2000年の世界、悪役ベルの無様な末路など、息つく間もなく読んで終盤以外は楽しんだ。主人公の女性を見る目のなさも、多少は鼻についたけれど実は「お前馬鹿じゃねーのww」と悪気なく笑える面白さの方が勝っていた。

    ハインライン作品を読むのはこれが初めてなので、懲りずに他の作品にも挑戦してみたい。