星を匿す雲

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【感想】進撃の巨人34巻(最終巻):ずっと待っていたんだ、10年前から この日を

皆様こんにちは。赤城です。

進撃の巨人34巻(最終巻)を読んだので感想書きました。

※他の巻の感想はページ下部の「関連記事一覧」からご覧いただけます。




ずっと待っていたんだ、10年前から この日を

この項はストーリーの感想ではなくて個人的な思い出話なので興味のない方は飛ばしてください


進撃の巨人』が連載開始したのが2009年、私が読み始めたのが2010年~2011年初め頃でした。単行本派で本誌は読んでいません。グロいのは苦手で戦闘描写にもそれほどこだわりはないけどずっとストーリーが好きで追いかけてました。こういう世界の謎を追究する系の話が好きなんです。

2014年にアニメ化してまさかの一大ヒットを博したときは本当に嬉しくて(あんなグロいのが一般受け(?)するなんて日本は大丈夫かとは思ったけど(笑))、単行本を買ってただけのくせに「『進撃』はワシが育てた!」と内心鼻高々になって、ついでにアニメ化のおかげでわんさと増えたファンアートや派生作品の影響もあってだんだんベルトルトやミカサあたりが推しキャラになったりしました。

実写映画は改変がひどすぎて猛烈に怒り、後編は観に行きませんでした。派生作品も「えぇ~」って思うものがいくつかありましたが、それらについては私は期待されてるお客さんじゃなかったということでスルーしました。

関連グッズ・作品に全部手を出したわけでもないですね、グッズは興味がなくて最初から全スルーですし、リヴァイが出る外伝も読んでいないです。本当に単行本といくつかのゲームとファンアート少々だけを追ってここまで来ました。


どうでもいい個人的な思い出話にさらに輪をかけてどうでもいいですが、『進撃』を読み始めてから連載が終わった今現在の約10年は、私の20代の時期とほぼ重なります。

エレンたちの成長、物語の進展に励まされるようにして、私自身も、どうしようもなく平凡で取るに足らない人間ではありますが少しずつ成長してきたのです。と、今回1巻から読み返して、「ああここは昔衝撃を受けたな、いやーあの頃は若かったな~」なんて随所で思い出していくうちに自覚しました。

つまり『進撃』は私個人のひとつの時代の始まりから終わりまでを並走してくれた漫画でもありました。


進撃の巨人』完結おめでとうございます。諫山先生、長い間ありがとうございました。




感想

ここから34巻の感想です。



みんなが良い結末を迎えられて良かった

巻末のスクールカーストの3人の感想で私に近いのはエレン≧アルミン>>ミカサという感じで、これはエレン的な感想です。

10年間見守ってきた『進撃』の登場人物たちが物語の終わりを迎えることができたのが感無量です。もちろん人類全滅エンドとかだったら感無量どころではなく一生もののトラウマになっていたでしょうがそんなことはなく、生き残ったキャラは幸せそうですし、死んでしまったキャラもだいたい役目を果たして死んで最終的には「巨人化能力の喪失」という結末により報われたかな、と思います。

特にアルミンとミカサは、彼らのエレンとの友情、愛情の積み重ねが堂々たる集大成を迎え、エレンと三位一体の主人公として活躍していたという印象です。



最終決戦編の展開はイマイチ納得できない

これはスクールカーストアルミンに近い感想です。31巻くらいから34巻まではご都合主義的だと感じてしまいました。


まず、パラディ島のメインキャラとマーレのメインキャラが共闘する展開になりましたが、あんなに仲間を殺し合って憎しみ合っていた彼らがこうも簡単に仲良くなるとは考えられず、まるで普通の少年漫画みたいだと思いました。いや『進撃』も一応少年漫画なんですけども。もう少しギスギスするものではないかなと思ったのです。

でも私は仲間を殺されたことがないのでただの想像でしかないですし、物語ってご都合主義な部分がないとやっていられないわけですし(南方訓練兵団104期にメインキャラが集中しているのも、敵国潜入という重責を担ったライナーたちが大人ではないのも、言ってしまえば物語の都合ですよね)、いいんですけどね。


それから、戦闘時の新しい設定(?)も若干不自然だと感じました。ファルコに都合よく翼が生えて飛べるとか、エレンの骨巨人が過去の継承者を無尽蔵に使役できるとか、エレンの背骨から生えてきたぐにょぐにょのガスがエルディア人を巨人化するとか、それにコニーがタイミングよく勘づくとか。

ファルコ巨人の翼については、鳥がエレンの象徴として描かれているので何かの意味があるのかもしれません。他のことも、私が気づいていないだけでどこかに伏線が張られているのかもしれませんが(考察苦手なんです)。

でもまあ逆に今まで伏線を作っては綺麗に回収してきたことの方がすごいんですけども。



「道」でアルミンがジークに語ったこと

ジークが、生命が生きる目的は種を存続させることであり、現在起こっている戦いは恐怖に支配された生命の惨状と主張したのに対し、アルミンは、種の存続にまるで関係のないなんでもない一瞬(エレンとミカサと追いかけっこするとか、みんなで市場を歩くとか)が自分にとってはすごく大切だと言いました(第137話)。その一瞬一瞬を守るために彼は今戦っている、という意味も含んでいると思われます。ジークもまたその大切さに気づいたことで「道」に眠る継承者たちの力を得て、彼らはエレンを倒し、世界に平和をもたらすことになりました。

この場面には非常に感銘を受けました。『進撃』のどのエピソードにも言おうと思えば言えることですが、この場面は特に、現実の社会にも通じる教訓だなあと私は感じます。

確かに生命の本来の目的は種の保存と存続です。でも、生きるためにそのように設計されているからただそれに従うだけ、というのはとても虚しいことです。私たちはもっとささやかな瞬間を守るために必死に戦うことができるし、実際アルミンのように無意識にそうしているし、それは決して間違っていないと思います。



ベルトルトが!! 活躍してますよ奥さん!!

継承者の一人としてベルトルトが出てきてくれて嬉しかったです。いやほんと、このままアルミンに全部お鉢を奪われて忘れ去られてしまったらどうしようかと思いました。私にとって最大のサービスシーンでした。ありがとうございました。



壁内の山奥に逃げたエレンとミカサは単なるミカサの妄想

ミカサがエレンに「オレはお前のなんだ?」と聞かれて「愛する人」と答え一緒に逃げた場合の未来みたいな場面がありましたが(第138話)、あれってアルミンのようにエレンがミカサに見せたものじゃなくて、単なるミカサの妄想ですよね? シリアスな場面なのに非常に申し訳ないんですけど、何回か読み返したらちょっと面白くなってしまいました。

しかし、もちろんあれは彼女が実際に体験した出来事を統合して作った妄想だと思います。エレンがマフラーを捨ててほしいと語っていた、とミカサの信奉者のルイーゼがミカサに伝えているので(31巻第126話)、それを踏まえたものかと。だからミカサが妄想を終えて「ごめん できない」と言ったのは、妄想の中のエレンに対してじゃなくてあくまで実際のエレンに対してなのです。ゆめゆめお忘れなきよう。



エレンの恋心で全私に衝撃が走る

いや~私本当にエレン発のエレミカ(エレンxミカサの恋愛要素)があるなんて思ってなかったんです、エレンが駄々こねるあの瞬間(最終話)まで。だからびっくりして腰を抜かしてしまいました。すげぇポーカーフェイスだなエレン。

難民キャンプでエレンが「オレはお前のなんだ?」って聞いたとき(31巻、第123話)は「これにはどういう裏の意図があるんだ?」と勘ぐっていましたが、まさか普通にミカサのことが好きだから聞いただけだったとは。そこでさすがに気づけよって話ですね、すみません。

同じようにアルミンとアニが両想いだと判明したとき(33巻、第131話)も「えぇ!?」って叫びました。いや昔からそれっぽい描写はあったけど、それっぽいだけであって、友情描写だろうなあとずっと思っていたし。


個人的に『進撃』漫画原作にはミカサの片想い、ファルコとガビ以外の濃い目の恋愛描写は要らないと思っていたので、終盤になって急に増えたメインキャラの恋愛描写は受け入れがたかったです。入れるならもうちょっと分かりやすく伏線を張っておいてほしかったかな。まあ私が鈍感すぎて読み取れてなかっただけかもしれないですけど。



ミカサの結婚相手はジャン?

そんなわけで最終話のラストのミカサのその後も別に入れなくて良かったんじゃないかとも感じたわけですが、たぶんあれはエレンが巨人の力を消した後の世界をちょろっと描いておきたくて入れたんでしょうね。諸行無常的な。最後に登場した子は追われてあそこまでやって来たのではなくてよかったですね。

でも私は生粋のジャンミカ派でもあるのでなんだかんだミカサの結婚相手がジャンっぽいのはちょっと嬉しかったりします。いやあの後ろ姿からだとジャンとは断定できないですけどね、抱えている子供も何かの事情があって預かっただけでミカサ自身の子ではないかもしれません。だからミカサは一般人と結婚したという解釈も独身を貫いたという解釈も全然アリです。ただ、私の中ではエレンが願った通り10年くらい経ってからジャンとミカサは結婚したのだと思っておきます。



フリッツ王の死と巨人化能力喪失の謎

ユミルがフリッツ王に向かって投げられた槍を自分の身で受けて死に、フリッツ王が彼女の体を三人の娘に食べさせたことでユミルの民が誕生しました(30巻、第122話)。しかしミカサがエレンの頭を抱えてユミルと対面する場面で、フリッツ王が槍に刺されて死んでいて、ユミルが子供たちと抱き合って泣いている回想みたいなのが入りました。

最初は意味が分からなくて、10回くらい読み返してたぶんようやく理解できました。あれってミカサがエレンを殺したことで、ユミルのフリッツへの執着がなくなり、ユミルが愛に殉じて死ななかったことになって、三人の娘に彼女の力が分け与えられることもなく、ユミルの民の巨人化能力が失われたってことですよね? 実際に歴史がそのように変わったわけではなく、ユミルのフリッツへの執着がなくなったことで、「道」を通してユミルの民にユミルの力が注がれることがなくなったことの比喩であると。


しかし、恥ずかしながら、ミカサがユミルのフリッツへの執着を終わらせることができた理由が未だに分かりません。ミカサがエレンへの愛を断ち切って世界のために彼を殺したから? ですかね? 愛って哲学だなあ。



特装版Beggining特典について

今回私が購入したのは特装版のBegginingの方でした。漫画本編とは別に、お蔵入りになった1話・2話のネームが別の冊子になっていました。

最後にその簡単な感想を書いて終わります。


前に読んだことあった

読んでみてまず初めに出た言葉は、「これどこかで前に読んだことあるな?」でした(笑)。どこだったか忘れたけどどちらも読んだことがありました。でも手元に残っていなかったので、今回購入したことでちゃんとコレクションとして保存できるようになりました。


エレンがよくありがちな主人公だった

それから、もうひとつ感じたのが、「やっぱりネームより実際に発表されたものの方が何倍もいいなあ……」でした。

例えば、エレンが自分の秘密を知りながら周りに隠しているみたいな、非常によくありがちな陰のある主人公になってしまっているところ。あれをなくして出してくれて本当に良かったと思います。そうなったら絶対つまんないもん。エレン自身も周りもエレンの過去や能力のことが全く分からなくて不安でたまらない状態から、戦いや実験を通して徐々に判明し自信を付けたり逆にますます不安になったりするのが『進撃』の面白さですよ。


ベルトルト、すぐバレとると

あと明らかに変えて良かったと思ったのが超大型巨人出現後の場面。ベルトルトさん、このやり方じゃ速攻で超大型巨人の正体だと読者にバレたよ。ダメだよ、もっと慎重にやらなきゃ。


ライナーはどうするつもりだったのか

トーマスではなくてライナーが喰われてしまっていますが、このときには既にライナーにも知性巨人という設定があったのでしょうか? だとしたら、喰われて死んだと思わせといて、エレンたちの前には姿を見せずに敵として暗躍しエレンのライバルになる、みたいな感じだったのでしょうか? う~んやっぱりちょっとありがちですね。


アルミンが別人

アルミンの一人称が「オレ」で喋り方も荒々しいのには笑いました。これは別にそのままでも問題はなかったとは思いますが、やっぱり変えて良かったんじゃないですかね。エレンと被るから。それにこのアルミン、なんか本読まなそうだし外の世界に憧れなそう(失礼)。


サシャも別人

すんごい美人。そして頭が良さそう。エレンよりリーダーっぽい振る舞い方をしている。あれがどうしてああなった

いえ、芋女の方が断然いいですよ、美人で頭が良くて統率力のあるキャラとか『進撃』で出てきてもなんも面白みがないしね。








想は以上です! 最後までお読みくださりありがとうございました。

過去の巻の感想も書いていますので、よろしければ以下の「関連記事一覧」からご覧ください。





※この文章は、赤城みみる(Twitter ID i14wander、はてなブログID i14wander)により執筆され、赤城みみるの所有するブログ「星を匿す雲」(http://cqs4live.hateblo.jp/)(http://cqs4live.hateblo.jp/archive)に掲載されているものです。著作権法32条で定められた要件を満たさず行われる転載は、著作権法21条に違反します。




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