星を匿す雲

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主にTVゲーム、アニメ、歴史漫画、史跡巡りの感想を書きます。基本的にネタバレあり。

都会で足の不自由な状態で生活したらめちゃくちゃ大変だった件

先日、つまらないことで片足を痛め、人生で何度目かの松葉杖生活を送ることになりました。

高校生の頃、ぼんやりと空想に耽って歩いていたらちょっとした段差で足を踏み外し、足首をひどく捻挫しました。それでクセがついてしまったらしく、以来ことあるごとに足首を捻っては整形外科のお世話になっています。

今回は、私が都市部の独り暮らしの会社員になってから初めての松葉杖生活でした。したがって、これまでとは色々と勝手が異なり、考えさせられることが多かったです。

そこで、本記事では、私が都市部の独り暮らしの会社員として松葉杖~治りかけの状態で生活した感想について、ざっくばらんにお伝えします。




歩き慣れた道がハードモードに

私の住んでいるアパートから会社までの道のりは、足を痛めるまではゲームの難易度で言うとベリーイージーでした。

少し上り下りはあれど距離が短く見通しは良く、突然死角から飛び出してくる子供や車などのトラップも少ない。しかも道沿いの店舗に数軒寄り道するだけで生活必需品は全て手に入るという、面倒臭がりな私にとっては大変便利な道でした。そのぶん他の問題があるのですが、それはこちらの記事で書いています。


ところが、足を怪我した途端、難易度はベリーハードに変更されました。

まず、果てしなく遠いのです。松葉杖の移動速度は普通に歩くよりも格段に遅い。頑張れば徒歩と同じ速度で進むこともできますが、その速度をずっと保てるほどの筋力が私にはありません。また、そんな速さで進んだら、万一転んだり、人にぶつかったりしたときにリカバリーが効きません。

その上、「少し」の上り下りが、松葉杖を使うと斜角30度くらいの急斜面を上り下りしているような感覚に陥ります。上りはつらく、下りは怖い。松葉杖を外した後も、足首がしっかりしてくるまではその感覚は変わりませんでした。今でも下りは怖いです。下っているからラクなのですが、そのぶん油断してしまい、バランスを崩しやすいのです。

さらに、普段はまるで意識していなかったちょっとしたくぼみや段差にも恐怖を覚えました。普段なら足を取られても咄嗟に体勢を立て直せる程度のものでも、平衡感覚を失っている状態では凶器と化します。私は、目を皿のようにして周囲の状況を観察せざるを得ませんでした。そうしなければ冗談でなく命を落とす危険性もあると思ったからです。

加えて、もすさまじく怖かったです。ちょっとした小雨でも路面が濡れると足や松葉杖を滑らせる確率が格段に高くなります。土砂降りならなおのことです。台風が来るたびにこの世の終わりが来たような気分になっていました。

なお、道沿いの店舗への寄り道も不可能であったことを補足しておきたいと思います。買い物かごが持てないし、例え購入しても自分一人でアパートに持ち帰ることができなかったからです。ですので、主に通販を利用して数日分をまとめ買いしていました。




公共交通機関を使う上での気苦労

もはや毎日タクシーで移動した方がよいような状態でしたが、アパート・会社間のタクシー料金(往復)を毎日支払えるほど私のいただいている給料は高くありません。そのため、よほどつらいとき以外は普段と同じように電車で通勤せざるをえませんでした。


皆様ご存知の通り、都市部の電車は混みます。毎日何かのパズルのように自分の体を電車内に押し込め、周りの見知らぬ人の体温や体臭に耐えながら会社に向かわなければなりません。私としては早いことフレックスタイム制度や在宅勤務制度が浸透してこの地獄がなくなればいいと思っていますけれども、それは本題ではないので置いておいて。

そんな混雑率150%とか200%とかいう状態では、例え松葉杖で高らかにアスファルトを突きながら乗車しても、安全なスペースを確保できる保証は全くありません。ひどいときは吊革にさえ掴まれません。私は揺れる電車の中、必死でバランスを取り、早くこの時間が終わってほしいと願っていました。他の人たちのように暇つぶしにスマホや本を見るなんて芸当はできませんでした。

電車で安全なスペースを確保したいなら優先席に座ればよいのでは? と考える方も多いと思います。無論、私は常に優先席に座ろうと努力していました。でも、そもそも人がいすぎて優先席まで近づけないことが多かったのです。運よく優先席の前に立てても、大抵誰かが先に座っています。一見なんの問題もなさそうな人でも重篤な病気や障がいを抱えているかもしれないわけですから、いくら私がつらいからと言っても、自分から替わってくださいなんてお願いすることはできませんでした。

悪夢のような時間を送ることが多かった中で、私にドア脇などのスペースや優先席、さらには普通の座席まで譲ってくださった方々には心から感謝しております。ありがとうございました。

もちろん、松葉杖の者がいたら絶対に譲れと主張したいわけではありません。どんな状態の人であれ、公共交通機関に乗っている以上、贅沢は言えないと思っています。自分が本当につらかったら、他の人を気遣う必要はありません、マナーを守る必要もありません、どうか全力でご自身のスペースを死守してください。ただ、もし余裕があれば、ぜひ体調の悪そうな方や、お年寄りや、妊婦の方に優しくしてあげてください。私もそうします。




エレベータがとても遠い

さて、そんな感じで平坦な場所にただ立っているだけでも苦労する状態なので、通勤でも他の外出時でもエレベータを使いたいと思うのは至極当然のことでした。というか、階段は無理です。時間がかかりすぎるし、ちょっとの手違いで転落してしまいますから。

いざそのような視点に立って探してみると、少なくとも東京都市部の大きめの施設においては、エレベータや点字ブロックといった体の不自由な人向けの設備が非常によく整っていることが印象的でした。これなら、体の不自由な人も移動に「さほど」苦労は強いられないであろうと感じられました。日本は障がい者に優しくない社会であるとは言いますが、少なくともこういった設備が充実していることはもっと評価されてよいように思いました。

ただし、上述のように電車などの混雑はひどいものですし、「さほど」苦労は強いられないだけで、健常者と同じように気軽に動き回れることはまずありません。エレベータが設置されているとは言っても、長い長い電車のホームの一か所にしかないなどの状態であることも多かったです。歩行が困難であるにもかかわらず、私はエレベータを求めて東へ西へ、へとへとになるまで歩き回らざるをえませんでした。




メメント・モリ

そんなふうに毎日大変な苦労を強いられる中で、私はぼんやりと考えていました――不謹慎極まりないけど、なんらかの災害が起きたら、真っ先に犠牲になるのは今の私のように身体の自由の利かない人たちだろうな、と。

地震のような天災であれ、テロや不注意による火災のような人災であれ、身体が十分に動かせない状態で遭遇してしまったら逃げることができません。無論、他の様々な事情で逃げることができなくなる人もいるでしょうが、身体の自由の利かない人はまず高確率でそういう状態に陥るでしょう。

普段生活している中では、皆さん余裕があるから助けてくださるわけです。災害が起きて自分の身を守ることに精一杯になったら、他人を助けることまで気が回る人はそう多くはないでしょう。それを責めることはできません。私もいざとなったら自分が逃げるだけで精一杯になってしまうかもしれません。

しかし、一度曲がりなりにも当事者になったからには、もし自分が災害に見舞われてなお冷静さを保っていられたなら、助けを必要とする人に手を差し伸べようと心に決めました。




人を見た目で判断するな

ところで、諸事情あって、松葉杖を使っているがギプスをはめていなかった時期があります。

どうやら一部の人にとって、松葉杖はギプスとセットになって初めて「怪我人」というイメージを抱くもののようです。たまに「こいつひどい怪我してるわけでもないのに大げさに松葉杖使ってるよ」みたいな目で見られました。実際そのように面と向かって言われたことが何度かあり、失笑さえされました。

うん、あのね。ふっつーにひどい怪我だから。歩くのつらいから。そう見えないからって勝手に判断しないでください。


人を見た目で判断するのはやめよう」とはよく聞く言葉です。恥ずかしい話ですが、私は見た目で判断される側になって初めてその言葉を真に理解できた気がします。以前の私は、言葉の上では理解していても、「あんなに体調良さそうなのに病人のフリしちゃって、まあ痛々しいわねえ」みたいなマッチョイズムに無意識に染まっていたように思うのです。




私の心が死んでいく

以上のように、普段の私なら到底エネルギーを振り向けないような事柄にエネルギーを全力注入せざるを得なかったため、体力と精神力の消耗度合いが半端なかったです。通常、私は通勤するのに1日に使える体力・精神力のうち50%くらいを使い果たしています。しかし、この期間は通勤するだけで体力と精神力が通常時の10倍、つまり500%くらい消費されていました。この時点で完全にオーバーワークになっています。

そんなわけで正直、足が不自由な期間中は仕事の能率が大幅に落ちていました。会社の皆さんに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいです。ていうか正直休ませてほしかったです、試用期間中だから休めなかったけど。


通勤だけでオーバーワークなところに無理矢理仕事を詰め込んでいたもので、終業後と休日の私は完全に無気力でした。私は普段からつまらない誘惑に流されて本当に大切なものを見失いがちな人間ですが、この時期はもう、物理的に、死なないでいることと仕事に行くこと以外の大切な事柄に取り組むのが不可能な状態でした。

あんなにやる気になっていた小説執筆も停滞し、小説や漫画を読むことも映画を見ることもゲームをすることもブログを書くこともままならない。クラシックのコンサートや遺跡、博物館巡りのために外出するなんてもってのほか(そうするだけの気力も体力もなく、また整形外科の先生からはなるべく足を動かさないようにと言われていました)。私の心は急速に死んでいきました。私はただ、Twitterで延々ネタツイや義憤ツイを拾っては笑ったり怒ったりするだけの、極めて虚しい毎日を送るようになっていました。



まとめ

これまで述べてきた通り、私の世界は足を怪我することによって激変しました。歩き慣れたはずの道も乗り慣れたはずの電車も地獄と化し、常に死を覚悟せざるをえず、他人の心ない決めつけに憤り、余暇の時間を自分の思い通りに使うこともままならなくなりました。

幸いなことに、現在、私の足は快方に向かっています。それにつれ、仕事も通勤も買い物も問題なくこなせるようになり、自分の大切な趣味にも元通りに打ち込めるようになってきました。これも私を支えてくれた家族や友人、そして名前も知らない多くの人たちのご協力があってこそです。改めて、ありがとうございました。


しかしながら、偽善的で幼稚で白々しく「当事者の気持ちなど分かっちゃいないだろう」と罵倒されるのは覚悟の上で言いますが、世の中には恒久的な病や障がいを抱えた方が大勢いらっしゃいます。さらに、目に見えてそれと分かる方もいれば、そうでない方もいらっしゃいます。彼らの苦労はいったいどれほどか、と私は怪我をしている間じゅう思いを馳せていました。そのような方々も安心して暮らし、自分の強みや好きなことを活かして生きていける社会になってほしいし、そうなるように微力ながら働きかけていきたいと思いました。