星を匿す雲

主にTVゲーム、漫画、小説、史跡巡りの感想を書いているブログです。基本的に【ネタバレあり】ですのでご注意ください。

今日、会社を辞めた。

今日、会社を辞めた。

次の就職先は決まっていない。つまり実質ニートだ。私は面接も自己PRも得意ではないので、転職活動で苦戦することは分かりきっている。せめて転職先が決まるまでは踏ん張っていた方が良かったのではと多くの人から言われたし、自分でもそう思う。

だが、もう耐えられなかった。このままだと、自分の心が失われてしまいそうだった。

この記事では、前半でそのような状態に至った経緯を書き、後半では会社員として働いてみて分かったことを書いている。

前半の身の上に関してはかなりフェイクを入れているので、不自然なところがあると思う。しかし、大まかにみれば本当にこの通りの状況であったし、私が経験した憤りや悲しみ、虚無感は紛れもない真実であることを予め申し上げておく。




私が会社を辞めた理由

前述の通り、私の精神がボロボロになった経緯を記していく。



前提として:常用型派遣

私の就労形態は、正社員ではあるが、常用型派遣であった。概要は下記の記事を参考にしていただきたい。

つまり、派遣元の会社では正社員、派遣先の会社では派遣社員という、コストを削減したい会社にとってきわめて都合の良い身分なのである。

なんだかおかしなことがまかり通る世の中になったものだが、私は就職活動が思うようにいかず、この常用型派遣を事業の一部として行っているとある会社からしか内定を得られなかった。



しきたり地獄

初めて派遣されたのは、意味不明な慣習に縛られた息苦しい会社だった。


業務自体はしごくまともだった。しかし、おかしなしきたりが山のようにあり、全社員がそれに従って仲良しごっこをしなければならなかった。

具体例を書くと特定されるレベルでやばい会社なので詳細は書かないが、すごくマイルドに希釈した例を挙げると、毎朝「任意参加の」朝礼が1時間にわたって行われていた。任意参加といっても、参加しないと上司から怒られるので、正社員も派遣社員も実質強制参加だ。しかも業務時間や残業として記録しようとしても認められない。内容も特に意味がなく、時間の無駄としか思えなかった。

私はこの朝礼をはじめとする多くのしきたりに参加したくないと派遣元の会社に伝えた。しかし派遣元の会社からは、「一応任意参加と言うことになっているので、こちらからは何もできないですね」と無責任な答えが返ってきた。仕方なく単独で不参加を決め込んだが、社員たちから白い目で見られ、大変肩身の狭い思いをした。


だが、前述の通り仕事の内容は至極まともだった。その上、自分にわりと向いていて楽しい仕事だった。ゆえに、私はこの会社で会社員としての基礎的な能力を鍛えることができた。その点については感謝している。



ホワイトからの転落

2つ目の会社は、初めのうち、私にとってはホワイト企業だった。

1社目のような理不尽なしきたりはなく、社員は皆親切で洗練されていた。

私はここで初めてまともに自分の趣味や内面について考える時間を持つことができた。このブログを始めたのも、労働と労働によるストレスを発散すること以外に意識を向けられるようになったからである。また、業務の内容も前の会社と同様自分に合っていた。

数年間は幸せな日々が続いた。


そして私しかいなくなった

しかし、今年に入ってから状況は一変した。

同じ係の正社員2人が突然相次いで退職したのだ。

理由は知らされなかった。ただ正社員の2人は、ほぼ定時に上がる派遣社員と異なり、毎日遅くまで残業し、取引先の理不尽とも思える要求に律儀に応じていた。耐えかねたのだろうと思う。私の所属していた係は異様に人数が少なく、彼らと、私を含む派遣社員2人しかいなかった。仕事が集中しすぎていた。

彼らが退職した後、すぐに代わりの正社員が来るものと思いきや、課長からはこう言われた。

「ちょうど良い人材が見つからないから、しばらくあなたたち2人だけで全て対応してほしい」

つまり、正社員2人の行っていた正社員としての業務である取引先との折衝や企画立案、私たちの係の指示のもと動いている別の係の正社員・派遣社員の管理などを丸投げされ、なおかつ、今まで行っていた派遣社員としての業務もこなさなければならないということだ。

正社員のように安定した待遇があるわけでもないのに、私たちは取引先から投げつけられる怒りの言葉を受け止め、真摯に謝罪し、指示を出している社員たちからの要望や、雪だるま式に膨れあがるタスクに対応しなければならなかった。

課長から謝罪や感謝の言葉でもあれば私たちはまだ頑張れたかもしれない。だが実際には全くないばかりか、課長は私たちが正社員の業務まで兼任しているのが当然であるかのように振る舞い続けた。また派遣元の会社に抗議しても、「契約範囲内とぎりぎり認められるから、こちらではいかんともしがたい」と取り合ってもらえなかった。

ある日、相方の派遣社員が辞めた。取引先や関係部署への挨拶もろくにないまま、まるで初めから存在していなかったかのように、彼はいなくなった。

そして、私は最後の一人になった。


トリガー

こうなってしまっては自分の身が持たないと思い、私は派遣元の会社に退職の意向を伝えた。これから転職先を探し、決まり次第転職するつもりだから、代わりの人員を用意するなりなんなり準備をしてほしいと。しかし、派遣元の返答はこうだった。

「辞めてしまった方の代わりをすぐに探しますから、もう少し様子を見てはもらえませんか。派遣先の会社も間もなく正社員を配置すると言っていますし、こちらに派遣社員をもう一人増やしてほしいとの要請も来ています。しばらくは大変かもしれませんが、人数が増えれば確実に負担は減るでしょう。

つらい思いをさせてすみません。でも、この経験はあなたにとって大きな成長につながると思います」

利益を出すことだけを追求した結果がこれか、と思った。私がお人好しであるのをいいことに、耳触りの良い言葉で私をこき使おうとしている。

許せなかった。その場で抗議しようとも考えた。しかし、私は疲れきっていた。

そうですか、分かりました、と私は曖昧に笑い、面談の場を後にした。もう就職先が決まっていなくてもいい。最低限の引き継ぎをして辞めようと決意した。


正社員に対する感情

しばらく経って、私の係に新しい正社員2人と派遣社員2人が配属された。私は彼ら4人の指導役となり、係の業務を一から十まで全て教えなければならなかった。

同じ会社から派遣されている派遣社員に対しては、なんのためらいもなく好意的に接することができた。だが正社員に対してはそうはいかなかった。待遇も立場も社会的地位も、全て私よりも上なのに、何も知らないまま放り込まれて、派遣社員である私の指導により仕事を覚え、やがて上司になって私に指示を出すようになる。そう考えると胸の中が悔しさと虚しさでいっぱいになった。だから、表面的には派遣社員に対してと同じように接していたつもりだが、相手からはよそよそしく映ったかもしれない。


退職

それからは特筆すべきこともない。私は引き継ぎを終え、今日、派遣元の会社を辞めた。すなわち派遣先の会社での業務も最終日となった。「分からないことがあったら連絡するかも」と課長から言われたが(入社当初、緊急の場合に備えて教えたので課長は私の個人的な連絡先を知っている)、冗談であることを願っているし、もし本気ならかなり神経を疑う。




会社員になって分かったこと

数年間会社員をやってみた結果、分かったことがいくつかあるので、最後にまとめて書く。


ここまではひたすら理不尽な仕打ちへの憤怒の羅列であったが、もちろん会社員として働くことにはそのようなマイナス面しかないと思っているわけではない。

したがって、まずは会社でまともに仕事に打ち込むことができれば誰もが理解するであろうプラス面から書き始める。

そんなご託は聞き飽きたぜ! という方は最後の項に飛んだ方がいいかもしれない。



皆、頑張って生きている

学生時代の私は、働くことに対して大変偏った見方をしていた。派遣社員は私のように努力不足の能力の低い人間がなるものだとか、正社員は入社試験のときに頑張っただけであとはテキトーにごまかしているだけとか、それでも正社員になれなければ人生終わるとか、年収の低い奴や有名な会社に入れない奴は人生の敗者だとか。


しかし、仕事を通じて色々な立場の人と関わることができ、世の中そんなに単純ではないと分かった。

ちょっと話を聞いてみると、皆、それぞれのっぴきならない経緯があって今ここで頑張っているのだ。私もその一人で、決して努力不足だったわけでも能力が低いわけでもない。また、年収が少なかったり有名な企業に入れなかったりしても人生の輝きがくすむわけではない。そのことが身にしみて理解できた。



会社とは(基本的に)素晴らしいものだ

学生時代の私は、会社なんて所詮群れることでしか能力を発揮できない奴らの集まりで、嫌な慣習や人間関係が多々あり、少しでも標準から外れていると容赦なく排斥されるのだろうと、これまた大変失礼な、偏ったことを考えていた。


しかしその中に入って働いてみると、実態は全く異なっていると分かった。

会社とは、チームプレーでしか成果を出せない、大きな物事に取り組むための組織だ。所属するメンバーがそれぞれの役割を果たすことで、一人ではできないことを成し遂げるための装置なのだ。

私はぼっち大好き人間なので、誰かと一緒に何かをするのはとてつもない苦痛ではないかと考えていた。でも実際には、職場の環境さえ整っていれば問題なかった(このあたりは個人差があるとは思うが)。それに、ひとつのプロジェクトを皆で完遂した後の充実感は素晴らしかった。

また、2社目に関してはおかしな慣習や人間関係はなかったし、やりづらいことがあるときには、意見を言うと案外すんなり受け入れられた。私は見た目や立ち居振る舞い、考え方に少々独特なところがあるが、それらについても表向きは文句を言ってくることもなければ、嫌がらせをされることもなかった。

会社とは、私が恐れていたほど硬直的で息苦しいものではなかったのだ。



お金があると心に余裕が生まれる

学生時代の私は、お金を得るために働くのは卑しいことだと考えていた。お金があってなんになる、そんなもので幸福は得られないと。

それはとんでもない間違いだった。ある程度のお金がなければ、人は幸福になれない。


例えば、お金がなければ、好きなものを十分に楽しむことができない。

節約すればいいじゃんと思うかもしれないが、よほど工夫するか法律違反でも犯さない限り、節約とは単にお金の代わりに時間を使うことだ。時間がなければ、好きなものに費やせる時間もそれだけ短くなる。

また、好きなものが自分の作り出すコンテンツのみであればよいが、私は今はどちらかというと自分の外部で展開しているコンテンツの方が好きだ。それらのコンテンツは、消費者である私たちが適切にお金を出さないと意外なほどあっけなく消えてしまう。この点においても、好きなものを十分に味わうためにはお金を持っていた方がよい。


他にもお金があってよかったことはたくさんある。私はお金をかけて贅沢三昧するのが大好きでがっぽがっぽ稼ぎたいというわけではないが、人生を豊かにするために少しはあった方がいいな、そのために会社員として働くのも悪くはないなと思っている。



ブラック企業は社会の体質が原因

会社とは、そして労働とは、子供の時分に思っていたより悪いものでもないと分かったのは、私にとって大きな進展であった。

しかし1社目および最後の1年において、派遣元・派遣先の会社が、私の立場が弱いのをいいことに十分な補償を与えることもなく過酷な職場環境を放置し続けたことは、到底許しがたかった。

ただ、私が彼らから受けてきた仕打ちは、彼ら個人の資質の問題ではなく、社会の体質の問題だとも思う。(さんざん言い尽くされていることではあるが。)

会社の言うことは理不尽でもなんでも従うべき。どんなに過酷な環境でも誰の助けも借りず頑張るべき。派遣社員は正社員よりも身分が下なのだから、都合良く使いつぶしても構わない。そして、それらの論理を振り回さなければ立ちゆかないほど余裕のない仕事そのもの。

そんな闇が社会にはびこっているから、私のように割を食う人間が大勢出てくるし、過労死や自殺がなくならないのだ。

私がこれらの闇を払拭できるとは思っていない。しかし体験してしまったからにはもはや無視することもできない。この先どんな道に進むかは分からないが、もし再び自分自身や家族、友人、同僚がひどい目に遭うことがあったら、自分にできる範囲で闘うつもりだ。

そうすることにより、少しずつでも社会が変わって、働く人たちが幸せになり、会社という組織の本来の素晴らしさを実感できるようになることを私は願っている。





最後までお読みくださり、ありがとうございました。

転職活動も終わったので、感想などを書きました。