アーサー・C・クラーク作、沼沢洽治訳のSF小説『地球幼年期の終わり』についてのネタバレあり感想です。
- もっと明るい話だと期待していた……
- 遺志を継ぐ者がいなくなる恐怖
- 本作は人類普遍の予言の書である
- 平和は人間を骨抜きにする
- SFのロマンが詰まっている
- 上主は人類の遺志を継ぐのか?
- ちなみに:後発作品への影響力が半端ない
もっと明るい話だと期待していた……
「幼年期の終わり」と聞いて、最後には何かしら輝かしい人類の少年期(青年期?)への展望が見えると期待していた。だが実際には、確かに人類ではなくなった彼らにとっては輝かしいけど人類側は絶望どころじゃねえんだよな、みたいな展開になってしまった。「終り」という言葉はよく考えたら悲劇的な意味合いで使われることが多いので、タイトルから察して然るべきだったのだろう。しかしクラークは恥ずかしながらこれが初読(映画『2001年宇宙の旅』を除く)であり、ホーガンやヴェルヌの代表作みたいな「科学ってスゲー!」な竹を割ったようなハピエンSFが好きで思い込みの激しい私は、クラークもきっとハピエンだろうと勝手に予想していたのである。結果は先述の通りだ。
遺志を継ぐ者がいなくなる恐怖
私は自分の遺伝子を継ぐ子供は今のところまるで欲しくないが、精神的な後継者がいてくれたらいいなとは思っている。私自身はちっぽけな人間なので、手塚治虫レベルで後世に影響を与えるなどといった大層な願望はない。ただ、自分の属する「陰キャ」とか「クソライトオタク」とか「小説書き(笑)」とかの属性が将来の世代にある程度受け継がれることをぼんやりと願っているだけだ。だから、私は本作の結末に恐れおののいた。あの世界では、もはや、将来どこかの誰かが私みたいな陰キャクソライトオタク小説書き気取りになってくれるという希望は抱きえない。そればかりか、地球は子供たちが覚醒してから70年後くらいにはよく分からん思念体みたいなのに物理的に吸収されて混然一体となってしまうのである。
本作は人類普遍の予言の書である
でもどうせ読後に「ああ、ただの『お話』で良かった~!」なんて安心して風呂に入って寝て忘れたのだろう、底の浅いにわかSFスキーめ、という幻聴が聞こえてきたので反論すると、全くそんなことはない。底の浅いにわかSFスキーであることは事実だが。実際には、本作は、私たちが常に感じている焦燥を的確に表現している、と思った。
私たちは、自分たちの子孫が自分たちとは決定的に違う何者かになってしまい、自分たちがそれまで築いてきた文化が潰えてしまうことに怯えている。少なくとも私はそうだ。また、私が実社会や読書、インターネット等を通じて接してきた同世代以上の大人たちからも、有名無名にかかわらず、そのような怯えと、人によってはそこから生じる攻撃性を感じ取った。
特に、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の最終章とか、マクルーハンのメディア論とか(ただし彼は言っていることが8割くらい意味不明なので正確には彼の理論を援用した人たちのインターネット・スマートフォンに関する言説)で、人間の在り方がテクノロジーによって近年変容しつつある、というか、新しいテクノロジーが現れるたびに変容している、と示唆されていることが、私にとっては最も身近な「怯え」だ。詳しい話は機会があったらします、浅い知識で語るのは恥ずかしいので。
だから、本書は私にとっては絶望的で現実的な予言の書に思えた。近いうちに私たちの文化はなんらかの形で断絶してしまうことの。そんなこと、私が気づいていないだけで現実にはたくさん起こっているのだろうが。
平和は人間を骨抜きにする
他の多くのSF作品でも繰り返し描かれているように、本作でもやはり、行きすぎた平和が人間をダメにしてしまった。人類は現状に何かしらの不満があることで初めて色々な才能を爆発させることができる、との思想をクラークもまた持っていたのだろう。人類がダメになった結果、もっと上位の何かが生まれたからいいじゃないか、と思う人もいるかもしれないが、私はあまり賛成できない。私は上でくどくどと表明した自分の信条的に、あれを人類よりももっと良いものとは考えたくない。
そして、本作の世界ほどではないけれども、とりあえずは平和な私たちの現代社会が生み出したものの中で、後世に残るものは果たしてあるのだろうか、と考えてしまう。今の流れから考えると科学技術は当然、確実に継承され尊重され続けるだろうが、芸術、文学、それこそSF小説はどうなってしまうのだろうか。
SFのロマンが詰まっている
散々お気持ち表明しておいてアレだが、私は本作を単純なエンターテイメントとしても大変面白く読んだ。特にグッと来た要素は以下の通りだ。
- ストルムグレンとカレレンの友情
カレレンが、よく分からない思念体の思惑にささやかに反抗し、ストルムグレンの、将来の世代においては消え失せてしまう運命にある、人間らしい好奇心に応えたことは、本作に描かれている数少ない「救い」のひとつだと感じた。
- 「最後の人間」ジャンの地球脱出劇
ドキドキワクワクが止まらなかった。それだけに、人類が滅びたことが判明した後、彼と一緒に上主たちの世界や滅びゆく地球の姿を見るのには耐えがたいほどの虚無感があった。ちなみに深海関連の描写は明らかに本作におけるサービスシーンだろう。楽しかった。いいぞもっとやれと思った。
- 連環する時間
人類が太古の昔から思い描いていた悪魔の姿は、実は彼らが人類の終末を悟ったときに目にした上主たちの姿だった、というのには興奮した。
上主は人類の遺志を継ぐのか?
ハピエン主義者の私にとって、本作の終わり方は少し物足りなかった。もし私がこの小説を書くとしたら、もう少し分かりやすくしたと思う。例えば、上主がストルムグレンたちとの友情を思い出し、きみたちの代わりにぼくらが頑張るよ、と心中で明確に宣言するみたいな感じだ。いやあ、物足りはするけど臭すぎますね。やっぱりクラークの終わり方の方がいい。
訳者の沼沢氏があとがきで述べているように、確かに上主たちは思想的には人類の後継者のように見えるし、クラークもそのような意識のもとで本作を書いたのかもしれない。しかしそれをあまりはっきりくっきり表現すると、情緒が失われてしまう。
本作は、人類の存続という希望が徹底的に破壊され、かつ、上主たちが人類に対し特別な執着を持っていない=人類が彼ら自身の物語の単なる脇役に過ぎないことがひしひしと伝わってきて、読む者に途方もない寂寥感を与える。それゆえに、名作として語り継がれているのではないだろうか。
ちなみに:後発作品への影響力が半端ない
と聞いたので「本当ぉ~?」と疑っていたが本当だった。私の僅少なレパートリーの中にも該当するものが大量にあって愕然としてしまった、ネタバレになるのでどれのどこがとは言わないけれども。まさに、SFの古典と呼ぶにふさわしい小説である。愕然としすぎて、クラークの作品を全部読まなければ真にSFを楽しんでいるとは言えないのではないか、という強迫観念が湧き上がってきた。『2001年宇宙の旅』小説版もこないだから読もう読もう言ってて全然読んでいない。本格的に読まなければいけない。
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